あいみょん

 

 今年デビュー五周年イヤーを迎えたシンガーソングライター・あいみょんが地元、兵庫県西宮市に帰ってきた。ワンマンでの弾き語りコンサートを開催するのは、甲子園の誇る長い歴史のなかで初めての快挙である。なんでも、彼女の実家は「屋上から光る球場が見える」ほど、甲子園のすぐそばにあり、幼い頃にはしばしば父と阪神戦を見に行ったり、西宮市の小・中学生が参加する運動会で実際に甲子園のグラウンドに立つ機会まであったそうだ。甲子園はあいみょんにとって特別な思い出の地なのである。

 そんな甲子園でライブを開催するにあたり、あいみょんは「インディーズ時代から、そこを目指して頑張るぞという感覚ではなかったかもしれないが、シンガーソングライターを続けていく上で、道の途中には甲子園球場というものがあるというイメージだった」と語っている。また『サーチライト』というタイトルは、「一人でステージに立つから、ピンスポットライトを私だけに当ててほしい」という思いで付けたという。
 来る当日、広い広い甲子園球場を埋めつくした4万5000人ものファンが、ひとまわりもふたまわりも大きくなって地元へ帰ってきたあいみょんを割れんばかりの拍手で迎えた。

 

 

 

 このライブの特筆すべき点は、やはり「甲子園球場で開催したこと」である。これまでホールツアーやアリーナツアー、フェスや歌謡祭、紅白歌合戦など、数多の公演を成功させてきたあいみょんだが、シンガーソングライターを夢に見ながら過ごした地元、西宮市に佇む甲子園球場での公演はこれまでにない特別な思いが込められたものであっただろう。実際にライブ前のインタビューで彼女はこのライブについて「自分が選んできた道や選択が間違っていなかったと思える日にしたい」と語っている。つまり彼女にとって、甲子園でライブをすることは、「夢の『答え合わせ』」なのである。


 この西宮市で過ごした自身の学生時代を「学校が苦手で、まわりの友達が将来の夢について話していても、自分にはなにもないって悲しかった」と振り返る彼女が「国民的シンガーソングライター・あいみょん」となってここに帰ってきたことにはやはり心揺さぶられるものがある。4万5000人が放つライトで満杯に照らされた球場のまさしくど真ん中で、このライブのために書き下ろしたという新曲『サーチライト』が披露されたときはどうしようもなく胸が熱くなった。「自分にはなにもない」と思うことはむしろ「なにかになれる証拠」であることを体現し、ここに4万5000もの光を集めたあいみょんはまさに西宮市のスーパースターといえるだろう。

 

 個人的な話になるが、コロナ禍でなかなかライブに足を運べず、いつも画面のなかの世界だった彼女の音楽が、ひたすらイヤホンで聴くしかなかった彼女の音楽が、制限されることばかりで不安定になってしまったこころを何度も救ってくれた彼女の音楽が、すぐ目の前にある、画面もイヤホンも何も通さずに耳に聴こえるところにある、ということが、ずっと家にいた頃には考えられないことで、この上なく胸がいっぱいになった。


 またセットリストも「地元でのライブ」に寄り添ったものとなっていた。特に中学生の頃、初めてギターを持ったときに作ったという『分かってくれよ』から最新曲『サーチライト』の流れには胸が熱くなった。石崎ひゅーい氏のお言葉を拝借すれば、まさに「あいみょんの歴史を全部覗き見しているようなセットリスト」であった。学校を中退し、先生や友人に夢を笑われた高校時代、誰も足を止めない路上ライブ、将来への不安や周囲への苛立ち、自分に自信を持てない苦しみ、夢を否定される苦しみをあいみょんは知っている。「苦しい」を知っている人は、やさしいことばを紡ぎ、「苦しい」を抱える人の胸に届くのは、「苦しい」を知っている人の声なのだとあらためて思った。


 行き場のない苦しみに苛まれた頃に作られた、ライブのときにのみ特別に披露される『tower of the sun』という楽曲の冒頭部分の『私があの人みたいにチヤホヤされる 天才やったら良かったのにな 良くも 悪くも 人生楽しいって思えるかもしれない そう言ったって私は私でしかないから ただひたすらに私として私を生きるだけ』という歌詞。苦しい人が自分の抱える苦しさに否定も肯定もせず、ただ苦しいを苦しいままに作ったものは、なによりも苦しくて、なによりも強いものなのであるのかもしれない。

 

 あいみょんが上京して初めて作った曲は『君はロックを聴かない』である。「この曲が聴かれなかったら西宮に帰ろうと思った」と後に本人が語るほど相当な覚悟で作られた。今では彼女の代表曲となった。そんな最も思い入れのある曲が最後に披露された。そのラストのサビであいみょんは観客に「みんなも一緒に歌って」と投げかけたが、声を出しての応援は禁止されているため声を出す人はいなかった。「声を出したいけど出せない」という行き場のない口惜しい思いが会場全体を包むなか、あいみょんは目を瞑って演奏を続けた。そして心が満たされたかのように幸せそうに微笑んだ。彼女にはあるはずのない大勢の歌声、ファンが心の中で響かせる精一杯の歌声がたしかに聴こえたのであろう。音というのはただ耳に聞こえるものだけでなく、心の中で鳴るものであるのかもしれない。以前、『映像と表現』の授業で映像学部の品田先生が「音は感性や知識からイメージされる」とおっしゃっていた。コロナウイルスによりライブやコンサートで声を出すことが禁じられ、思うように楽しめないところもあるが、その代償に私たちは「『心の中で鳴る音』を聴き出す感性」を手に入れたように思われた。