「生きる」と「ことば」

 

 私たちはこれまで幾度となく頑張ってきた。どんな逆境をも跳ね返し頑張ってきた。そして、今も頑張っている。


 私たちはなぜ頑張るのだろうか。頑張らなくていいことでさえ、頑張るのだろうか。頑張ってしまうのだろうか。「生きる」とは、「頑張ること」であるのだろうか。


 私たちはしばしば「怠けたい」と思ってしまうことがあるが、実のところ、「頑張らないこと」は、「頑張ること」より苦しいものである。
私がこう考えるようになったのは、アーティストの深瀬慧さんの言葉がきっかけである。「頑張れていないって、頑張れていることよりすごく苦しいんです」。私と同じ十代の頃にうつ病に苦しんだ深瀬さんのこの言葉を聞いて、私はこれまでの人生の苦しみの理由のほとんどが分かった気がした。


 うつ病など日常生活が送りにくくなる人の傾向として、多くのメンタルクリニックは、「真面目で責任感が強い人」と指摘する。このようなタイプの人は、自分のキャパシティを超えて頑張りすぎてしまうため、心のバランスを崩しやすい、ということだ。私もそのようなタイプである。


 中学生の頃、学級委員やクラブの部長など、とにかくたくさんの仕事をこなした。当時は、「しんどい」「やめたい」とただ嘆いていた。高校ではもっと楽に過ごしたいと思い、委員や部活動をしないことにした。しかし、いざ高校生になって仕事を一切しなくなると、その状況は、忙しなかった中学生の頃より、むしろ苦痛に感じるようになったのである。そして、「頑張らないこと」の方がずっと苦しいのだと初めて知ったのだ。つまり、心のどこかでは、また「頑張りたい」と思っているのに、「頑張れる」場所がないことは、とても悲しくて息苦しいことなのである。そんな状態が続くと、いつしか「頑張らない」が「頑張れない」になっていく。そうして、頑張りたいのに、「頑張れない」ことで、沈んだ気持ちを整えられず、自らの価値を見失っていくのである。

 

 しかし、いざ「頑張れる」ようになると、今度は、「頑張りすぎて」しまわないかと怖くなる。全てに頑張りすぎてしまうと、次第に心や体が追いつかなくなるからだ。私たちは、そのような激しい感情の波に飲まれながら生きているのではないだろうか。


 「ことば」は、「頑張りたい」に向かわせてくれる魔法になるかもしれない。「頑張れない」を救う薬となるかもしれない。「生きる」とは、そのような力をもたらす魔法や薬となる「ことば」に出会うことなのかもしれない。私にとっての「魔法」と「薬」は、深瀬さんのあの「ことば」である。


 人の心を救う「ことば」に出会い、その力を研究し、自分もそのような「ことば」を紡げるようになること、私はそんなやさしい表現者になりたい。