無題

 

 

これは、できれば君のもとまで届いてほしくないけれど、できれば君のもとまで届いてほしい記憶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初からそうだったのかもしれない。ただ可愛かった。めちゃくちゃタイプだった。

 


入学してまだ間もない頃、学校に着くのがクラスで二番目くらいに早い君は、毎朝廊下で鍵のかかった教室が開くのを待っていた。学校に着くのがクラスで四番目くらいに早い僕は、勇気を出して、そんな君におはようの挨拶をするんだけど、お互いそういうのは得意じゃないようで、どこかぎこちなかった。まぁ、まだ出会って間もないし、しょうがないか。ただ、僕は、そのぎこちなさのなかに、どことなくあたたかさを感じていたのだと思う。山でキャンプファイヤーをした翌日の朝一番に浴びる、ポカポカした日差しのような、何とも心地よいあたたかさ。

 

君の第一印象はというと、可愛い。とにかく、可愛い。いや、でも、そんな言葉じゃ足りない。君は、可愛いすぎる。黒目がちの大きな目も、やわらかい声も、きれいな髪も、笑ったときにできる目尻の皺も、マシュマロみたいに白い肌も、全部可愛い。すてき。うん。本当にすてきだ。


君は、落ち着いている。おとなっぽい。あまり表情を変えない。いわゆるポーカーフェイス、みたいな。まあ、でも、このあたりの印象は、見事に払拭された。僕が初めて君とふたりで、挨拶以外のことを話したあの日に。

 

 


君は、よく笑う。おかしなことで笑う。わけのわからないことで笑う。大事な試験や面談とか、そういう緊迫した場面にかぎって、堪えきれなくなって笑ってしまうタイプだ。そう言っていた。僕もそうだ。中学生のとき、文化祭で披露した学級劇。僕は、感動のクライマックスで耐えきれず吹き出して、劇を台無しにするという我が人生最大の失態を犯した。笑える。僕もそうなのである。こんなに清楚に見えても、笑いのつぼが僕ほどくだらないのか。なんか、胸が熱くなる。

 

 

「なにかおもしろいことがあったら、必ず君に教えよう。一番に君と共有したい」
そんな君の一面を知ってから、僕はこう思うようになった。そして、いつのまにか、窮屈な学校生活のなかで、これが数少ない楽しみのうちのひとつになっていた。
お互い口下手で、正直言うと、いつも会話のキャッチボールがどこかぎこちない。だけど、「僕たちにしか分かりあえないその面白さに腹を抱えて笑うこと」が君と感じられる唯一の「つながり」だと僕は考えていた。

 

 

なんか、よく分からないんだけど、なんか、ずっと、君が一番可愛い。大人数で撮った写真とか見てみるけど、なんか、僕には、君のもとにだけ光が差してるように見える。
僕は、君に陶酔していた。名画に惚れこむみたいに。たぶんそれは一方的なものでよかった。その頃は。

 

 

 

 

 

 

だけど、違ったんだ。全然、違ったんだ。
きっと、僕は最初から君に恋をしていたんだ。気づかなかっただけで。


これまでを振り返って考えてみると、僕はずっと君のことを追っていた。君の仕草にどきどきしていた。席が隣になったとき、僕の話を聞いて笑ってくれたとき、音楽の授業で一緒にピアノを弾いたとき、風で乱れた僕の髪を黙って直してくれたとき、君の髪、手、足、心に触れたとき。
今思えば、ずっと、君と目が合うだけで、僕の前を通ってくれるだけで、手が少し触れるだけで、ただ僕の名前を呼んでくれるだけで、どうしようないくらい嬉しかった。

 


そう気づいてから、君と時間を共にすればするほど、僕の想いは大きくなっていった。君を想いすぎて、次第にうまく距離が取れなくなっていた。こんなにも誰かのことを、強く強く想い続けたことは今までになかった。だから、まるで分からなかった。なにが、君にとって、僕にとって、正しいのか。正直言うと、今でも分からない。分からない。分からない。結局、君とは距離を置くことにした。どうしてかというと、怖かったから。君に嫌われるのが怖かったから。

 

 

 

セクシュアルというものは流動的である。何度も何度も、すぐに変わってしまう。


君と距離を置いている間、僕はある人のことを好きになった。っぽかった。だから、このままその人のことを好きでいようと思った。だけど、このきもちは、ただ、君への想いを忘れるための口実なだけだった。ただただ、一時的なものだった。
だから、その人に想いを寄せようと決めたとき、この調子だ、と思った。忘れるんだ。このまま。君への想いを忘れるんだ。忘れたい。早く忘れたい。でも、忘れたくない。絶対に忘れたくない。忘れたい。忘れたくない。
だめだった。全然だめだった。余計に苦しかった。

離れれば離れるほど、君が欲しくなる。もっと想ってしまう。執着してしまう。離れることこそが君との親密さを示していたんだ。

 

 

この想いにブレーキはない。ずっと青信号だ。どんな君でも僕は好きでいる。

 

 


二年生になって、君とクラスが離れた。悲しい。悔しい。学校に行きたくない。君のいない教室に何の意味があるんだ。


僕は最初、よく分からなかった。自分が嫉妬しているのは、いったい誰なのか。だけど、最近はっきり分かった気がする。君と楽しそうに話す人みんなのことを、僕は妬んでいる。

僕の知らないところで、君が他の誰かのものになったらどうしよう。君が僕ではない誰かのことを好きになったらどうしよう。
君への想いがどんどん大きくなるにつれて、どうしようもない焦りが加速していた。

 

 

そしたら、ついに、耐えられなくなった。

 

 


だから、僕は、伝えた。君が十七歳の誕生日を迎えた翌日。君の最寄り駅。改札の前。

 

「僕は君の一番でありたい。君の特別になりたい。君の隣にいたい。君のことが好きだ」


君は、驚いていた。そりゃあ、こんなこと急に言われたら、びっくりするよね。でも、やっぱり優しかった。こっちがだめになってしまうくらい。なにを言っても、いつもと変わらないやわらかい眼差しをくれた。そのやさしい相づちに、君の温もりが何度も垣間見える。僕の心を少しずつ解放させてくれる。どこまでもていねいに、受け止めて、受け入れて、考えてくれて、本当に嬉しかった。ありがとうで胸がいっぱいになった。

 

 

 

 

これまでずっと、蓋をし続けてきた気持ち。「好きすぎて苦しい」なんて、一生味わわないと思ってた。こんなにも、苦しくて、うれしいのか。

 

君だけに抱く変な感覚や気持ちの正体が「好き」だと気づいたとき、僕は、初めて自分を受け入れることができた。自分さえ知らなかった自分に気づかせてくれる。そんな君を前にすると、したいことがもっと増えて、夢がどんどん膨らんでしまう。

 

 


君は、二日後に手紙をくれた。口下手だから、直接だと上手く伝えられないから、と文字で伝えてくれた。

「友達のままでいたい」、そう言われた。

僕は、手紙を読んで、思わず君のもとへ急いでしまった。なんか、よく分からないけど、このままだと、君がいなくなってしまうような気がした。


この前と同じ場所。君の最寄り駅。改札の前。

 

「迷惑だと思うけど、ごめん。諦めたくない。君がいないと、僕、潰れてしまうから」

 

 

僕、少しおかしいんだ。いや、とてもおかしいんだ。感情をね、自分でコントロールできないんだ。いつもそこに知らない感情がいる。ずっと悲しくて、いつも崖っぷちに立っている。いつか落ちるかもしれない。実際は、悲しいことなんてなにも起きていないのに、悲しくて、突然、喪失感とか劣等感が、すごい勢いで僕を襲うんだ。楽しいとか幸せとか感じることもあるけれど、でも、なんか、その根底には、ずっと消えたいって気持ちがある。なんか分からないのだけどね、ふとしたときに、そういうのが止まらなくなる。去年は特にそいつがひどかった。気持ちの起伏に疲れきって、何度も駅のホームに、赤信号の交差点に、飛び込みそうになった。だけど、君がいるから生きてみよう、とか、そんなふうに思えた。たとえ、ギリギリの崖っぷちに立っていたとしても、なんとか落ちないでいよう、そんなふうに思えた。君を感じると、少し楽観的になれる。君に会うために、少し歩いてみよう。君と話すために、明日も学校へ行こうと思えるんだ。

 

 

君は、泣いた。その涙の意味を僕は上手く見出せなかった。ただ、ただ、申し訳なかった。そんなつもりはなかった。

正直、そんなこと、死ぬまで誰にも言わないだろう、言えないだろうと思っていた。ただ、君がいなくならないように、話をしたかっただけなのに。話すことなら、昨日の夕食のことでも、好きな季節のことでも、飼い猫のことでも、何でも話せたのに。どうしてそんなこと話したのだろう。よく分からない。だけど、それでも、ただ、僕は、君にもっと「僕」を知ってほしかったのかもしれない。僕の苦悩を知ってほしかったのしれない。

 

 

平常じゃいられない。君を前にすると。胸が高鳴る。落ち着かない。すごい。焦燥感に駆られる。君のことを好きになるまで、君のことが好きだと気づくまで、こんな感覚、味わったことがなかった。葛藤とか、そういうのはたくさんあるけど、僕は「僕」をようやく受け止めて、受け入れた。別にいいんだ。少しくらい君の棘を感じても。悲しいけれど。君が僕の温もりを感じてさえくれれば、それでいいんだ。それが、いいんだ。

 

欲まみれな人にはなりたくない。そう思ってるけれど、君を見ると、たくさん欲しくなる。君の欲望に応えたい。君の願いを叶えたい。僕の想いを実らせたい。

 

もっと知ってほしい。気づいてほしい。僕の苦しみに、もっと気づいてほしい。溢れる想いに、もっともっと気づいてほしい。君のことを想いすぎて、毎晩枕を濡らす僕に気づいてほしい。毎晩、枕の隣に君がいるところを想像する僕に気づいてほしい。僕のことをもっともっと知ってほしい。

 

 

執着心は、いつも僕を傷つける。

そんなこと、もう痛いほど分かっているのに、それでも、やっぱり君の声が聞きたくて、少しでも君を感じないとどうにかなってしまいそうになる。だから、何度も電話をかける。君は優しいから、いつも快くうなずいてくれる。

 

僕は、明け方が好きだ。なぜなら、君がよくしゃべるようになるから。僕の言葉によく照れるようになるから。普段はそんなことないのに。僕しか知らない君を感じられるような気がするから。

 

日が出始めると、君の言葉はいつも曖昧になる。はっきりしない。まるで、お酒に酔った大人みたいに。君の声はぼんやりしていて、今にも溶けそうだ。僕は、そんな君も好きだ。その可憐な姿に、僕まで溶けそうになるから。

 


僕が消えたくなるとき。人生に終止符が打たれる、そんな瞬間を待ってしまうとき。君との電話が僕のすべてを救いだす。君の声を聞くと、暗い気持ちは塵になって風に吹かれる。こんなところで消えてたまるか、って思う。君は、すごいよ。君は、僕のすべてを生み出して、つくりあげる。


僕は、文字じゃなくて、声で、君に伝えたい。

 

「好き」ならもうたくさん伝えたけど、僕がずっと欲しいのは、その先だ。
でも、言えない。君のために用意した言葉がたくさんあるのに。

 


不器用で、気持ちを言葉にするのが下手な僕だけど、たぶんそれは君も同じで、だから、文字にした想いを電波に乗せて送り合うことは、ぎこちなくて、どこか息苦しい。だからこそ、いつでも僕は、君の声が聞きたい。君の声で、君の温もりを感じたい。この耳で、君を感じたいんだ。

 

 

 


午前授業が始まった。午後、僕は勇気を出して、君を誘った。君が僕の家に来てくれることになった。

 

ああ、君が来るのか。ここに、君が来るのか。今まで何度も想像はしたけれど、それでも緊張で胸が張り裂けそうだ。

 

君を迎えに行く。僕の最寄り駅。改札の前。


雨が降っている。傘をさす君すらとてもすてきだ。
君と横に並んで歩く。湿気と緊張で汗をかいている。家に着くまでに、どうにか心を落ち着かせないと。わざと遠回りをしてしまった。


住宅街にある大きな池の話とか、小学校の前にある立派なゴルフ場の話とか、小さい頃に毎日行った駄菓子屋さんとか、この町のことを話しているととうとう家に着いてしまった。そして、君を僕の家に迎える。たぶん、君も緊張している。

 

部屋に入ってすぐ僕の鼻から赤いものが流れた。鼻血だ。きっと、君が今ここにいることにすごく緊張しているんだ。あとたぶん、君があまりに可愛いからだ。そう伝えると、君はいつものように照れくさく笑った。僕の心はずっと高ぶっている。僕の部屋に君がいる。僕が毎晩、君のことで頭を悩ませ、涙を流す場所に、今、君がいる。


たくさん話した。いつものように、たくさんたくさん笑った。楽しくて、嬉しくて、仕方がない。向かいに座る君がいとしくて仕方がない。やっぱり君はすてきだ。時間よ止まれ。このままずっと一緒にいたい。もっともっと君を感じていたい。だけど、時間はあっという間だ。

 


僕の最寄り駅。改札の前。


今日はありがとうの言葉を告げて、君は背を向けて歩く。

 

これまで味わったことのないくらい大きな余韻に、心が負けそうになりながら、僕も家に帰る。部屋はがらんとしている。だけど、君の匂いがほのかに残っている。やわらかくてやさしい匂い。すてきな匂い。


君が座っていた場所に腰かける。君が荷物を置いたところに触れる。君の飲みかけのジュースを飲み干す。少しでも長く今日の君を感じていたい。

 

 

前に君も言っていたけど、僕と君は似ている気がする。不器用で神経質なところとか、集団行動が苦手なところとか、テスト前日の夜に一気に頭に詰め込むところとか、大事な場面に限って思い出し笑いをしてしまうところとか、朝はご機嫌ななめなところとか、年上の人や小さい子と関わるのが下手なところとか、人一倍繊細でいろんなことを深く考えすぎてしまうところとか、きっと他にもある。君との共通点は多い。だけど、君は、僕より、ずっと良い人だ。

 


今、君の目に僕はどう映っているのだろう。

 

君の言葉がずっとひとつひとつ、僕の脳裏に焼きついている。その言葉たちが、いつも僕を掻き立てて、苦しませる。叶わないのは、届かないのは、きっと、僕が不器用だからだ。僕がずっと探している「僕」は強いけど、実際の「僕」はとてもとても弱いみたいだ。

 

どうして君は僕の心を奪ったままどこかへ行こうとするの?僕の気持ちなんて、もう十分に知っているはずなのに。

どうして、僕に忘れさせようとするの?
僕が奪えばいいの?君の手を?唇を?心を?

 

僕は、君が欲しい。君のすべてが欲しい。君のすべてを僕のものにしたい。少しでも長く君に触れたい。苦しみでできた僕の涙を拭ってほしい。ずっと君と交わっていたい。絡まってほどけないイヤホンみたいに。


こんなの、君以外の誰にも打ち明けられない。君だから話せることや、君だけに話したいことがたくさんあるんだ。

 


僕は、ずっと「僕らしさ」を信じることが怖かった。だけど、君といると、「僕らしさ」が輝いて見える。僕は、君といるとき、ようやく「自分」でいられる気がするんだ。

 


僕の世界はすべて君でできている。だから、君がイェスと言うなら僕もイェスと言うし、君が首を振るなら、僕も首を振る。君がいるなら、大嫌いな学校も行くし、君の声が聞けるなら、苦手な電話もする。何度だってする。君を感じられるなら、どこへでも行く。君がいれば、何でもできる気がするんだよ。

 

 


ずっと、どうにもならないことに縋りついて、逃げ続けてきた。
過去の自分を恨むことが「後悔」なら、僕の人生は「後悔」の連続だ。
だけど、君がいるなら、その後悔とも少しずつ向き合っていこうと思える。

 

 

 

 

 

遠いむかし、ギリシャ神話の最高神ゼウスは、僕たち生き物を半分に切り離した。だから、僕たちは、己の半身、片割れを求めて、生涯をかけて探し回る。それが、「愛」なのだと思う。

どうか、僕の片割れは、君であってほしい。

 


僕は、ずっと君のことだけを想っていたい。ずっと君を求めていたい。ずっと君を好きでありたい。

 

 

 

君を感じられないなら、死んだほうがましだ。