無題2

 

 

小暑。夏がはじまる。恋焦がれた我が身を燃えあげるような、あの暑さを乗り越えるには、やはり君が必要だった。

 

 

 


ここにあの記憶を残してから、ちょうど半年くらい経った。ずいぶんと時が過ぎた。あれからまた、僕の心もずいぶんと起きたり伏せたり、言葉では上手く表現できないけど、とにかく激しいものだった。

 

 

どんなに痛みを負っても、何も学ばない。学べない。「好き」が全てを忘れさせる。わずかな希望がさらに僕を苦しませる。まだ頑張れる、まだやれる、どこかでそう思うから、余計にしんどいんだ。もういっそ、こんなもんだって割り切れたら、どれだけ楽だろう。

 

 


二年生が始まって一ヶ月が経つ。初めての定期試験がやって来る。試験期間は、放課後に毎日誰かと教室で勉強をする。なにも言わないけど、黙っているけど、僕は、放課後、君と一緒に勉強がしたい。僕の口からは、とても誘い出せなかったけれど、友達が君を誘ってくれた。おかげで、君も一緒に勉強することになった。やっぱり君がいるだけでもう何でもできる気がする。苦手な数学だって化学だって、何でもできる気がする。君は、僕のふたつ後ろの席でワークを解いている。集中できない。できるわけがない。すぐ後ろに君がいるなんて。ノートと睨めっこしながら、僕は、君のことで頭がいっぱいになる。

 

集中力が切れて、口だけがよく動くようになる。結局、勉強は全く捗らない。だけど、それでいい。それがいい。君と話していられるなら、なんでもいい。君の声をずっと聞いていたい。

 

帰り道、リュックを背負う君の姿を、久しぶりに前にした。胸が張り裂けそうなくらい高鳴るのを感じる。せっかく近くにいてくれるのに、上手く話せない。話したいことがたくさんあるのに、言葉が出ない。

 

前を歩く君の髪を見ていた。長くてやわらかい髪。触れたい。でも、だめだ。もし欲望に負けて、君のもとへ飛び込んでしまったら、きっとすべてが終わってしまう。

 

 

 


気持ちというものは、どうしてこんなにも、何度も何度も移り変わっていくのだろう。

 


定期試験が無事に終わった。だけど、君への想いは、どうしてか、呆気なく終わりそうだ。最近、君の冷たさを感じてしまうようになった。いつからか、君の前を通っても、なにもできなくなった。名前を呼んでくれない。近くにいても誰もいないみたいに、そんなふうに、君は僕の前を通り過ぎる。

 

どうして、どうして。なんで。もしかして、こないだの電話でまた君に想いをぶつけてしまったからかな。もう引かれてしまったかな。嫌われたかな。もう分からない。全く分からない。分かりたくない。


でも、分からないといけない。君の冷たさのわけが知りたい。

 

夜の電話。「君がはっきり言葉にしてくれないと、僕はどんどん崩れてしまうんだよ」。そう言っても、君の言葉はまだ曖昧だった。ああ、もう、もし今夜だめだったら、もうこれで終わりにしよう。終わりにしたい。忘れないといけない。だけど、こんな生半可な焦りは、かえってまた同じ失敗を招くだけだった。 

 

同じクラスの子。今度こそ、絶対に好きになれた。つもりだった。毎日必死に目で追った。つもりだった。だけど、どうやら、やっぱり違ったらしい。また一年前と同じだ。それはただ、君への想いを忘れるための口実でしかなかった。君への想いから逃げようとしただけだった。

 


君を想うことが、しんどい。苦しい。それならいっそ、もう、全部なかったことにしたい。全部なかったことにされたい。そう思ったけど、それは嘘だった。全部なかったことにされるのは、もっと苦しい。自分なりにたくさん考えて、たくさん頑張ったことを全部なかったことにされるのは、とてもとても苦しい。だけど、これをどうすればいいのか、全くわからない。君の気持ちが全くわからない。

 

 

しばらくの間、君とは話さなくなった。

 

 

文化祭がやってきた。君は、ダンスを披露するらしい。できれば、君の踊っている姿は、もう見たくなかった。もし見てしまったら、きっとまた心が爆発する。だけど、体は嘘をつかない。気づいたら、舞台の前の客席に座っていた。いや、でも、あくまでも、僕は、君以外の子を見るためにここに来た、別に君を見るために長蛇の列に並んだわけではない、自分にそう言い聞かせた。

 

だけど、だめだ。全然、だめだ。結局、視線の先はいつも君だ。君の踊る姿が何よりもきれいだ。一番可愛い。どうしようもなく好きなんだ。分かっていたけど、やっぱり心が爆発する。感情を見失いそうになる。それくらい心のうちに抱く全てを奪われる感覚だ。


僕の心がまた爆発しても、君の冷たさはなにも変わらなかった。君はこんなにも僕のたくさんを奪うくせに、奪ったものを返してくれない。そのままどこかへ放り投げてしまう。

文化祭の日。それからの休み時間。廊下ですれ違ったとき。もう見向きもしてくれない。僕は、君の冷たさを感じるたびにもう元には戻れない、どうしようもない現実というものの冷たさを痛いほど感じた。

 


それでも、そんな現実でも、まだ諦めきれない自分がいる。どうしても声が聞きたくなる。欲しくて、欲しくて、おかしくなる。だから、電話をしてしまう。奪われたものを取り戻したくて、言葉を交わす。だけど、やっぱり、君は前とは違う。乗り気でないように思える。結局、話は弾まない。

 


また、定期試験がやって来る。君が金曜日の放課後、教室に残って勉強するって言うから、僕は月曜日から一週間、何でも頑張れた。頑張った。そして、金曜日の放課後がやって来た。やっとだ。

 

だけど、君は何も言わずに帰ってしまった。

 

頭が真っ白になった。目の前が一気に暗くなった。なにがなんだか分からなくなった。ずっと楽しみにしていたのに。一週間募り続けた僕の楽しみは、いったいどうなるの。どこへ行くの。

 

 


今から、自分勝手な悪口を言おうと思う。君の悪口を言おうと思う。

君は、いつもそうだ。僕がいつも僕のなかの何かを犠牲にして、君のためだけにずっと積み重ねてきたものを、君は、ほんの数秒で簡単に崩す。指一本でボロボロにする。だから、僕は、もう何もできない。なにもできなくなる。

 

もうどうでもいいや。どうでもいいけど。

 

 


君の夢を見た。ここ一週間、毎日君の夢を見る。君がずっと手を握ってくれる夢。あれから、君のことなんてどうでもいいと思っていたけれど、どうやら、「夢」というのは「潜在意識」らしい。その「潜在意識」は、時に予知夢のような、現実的な夢を見せてくれるらしい。だから、最近の夢は、僕の「潜在意識」が見せたものらしい。そして、「夢が叶う夢」を見たら、その夢は、現実になるらしい。だから、なにを言いたいかというと、僕が叶えたい夢は、君が手を握ってくれることらしい。そんなことを知ってしまった。

 

 

そうだ。君のことなんてどうでもいい、そんなこと、思うはずがない。

 

とたんに、空気の漏れかかる気持ちの歯車に再びエンジンがかかるのを感じた。

 

やっぱり、声が聞きたい。

電話をする。君のせいで負った傷が君の声で癒されるなんて、おかしな話だ。
もしあれが本当に予知夢なら、あと少しで、君とひとつになれるのだろうか。夢から大きな自信を得てしまった。そしたら、話が弾むようになった。こんなに楽しく話すのは、いつぶりだろう。こんなに自然に話せるのは、いつぶりだろう。こんなに上手く話せるなら、また、直接話したい。直接笑いたい。直接君の心に触れたい。次々と欲が溢れる。夢から得た大きな大きな自信という武器を装備した僕は、その欲をすぐに叶えることができた。

 

 

 

晩秋。秋の終わり。
君と直接話すのは、五ヶ月ぶりだ。目が合うことすら、久しぶりに感じる。すごくすごく嬉しい。持ち合わせた言葉では言い表せないくらい。目の前がぱっと明るくなった。

 

今までの冷たさは幻なのかもしれない。

よく廊下で話すようになった。楽しそうに話してくれる。僕のくだらない話に、目の前で、耳を傾けてくれるのは、いつぶりだろう。君のくだらない話を目の前で聞くのは、いつぶりだろう。君の笑顔を目の前で見るのは、いつぶりだろう。

 

いける気がする。やれる気がする。


電話をするのももう簡単だ。もう何でもできる気がする。気がつくとまた、五か月前と同じように話していた。

だけど、話していくうちに、やっぱり、どんどん想いが募って、思わず、また伝えてしまった。なんだかもう重すぎて、僕一人では抱えきれなくなったから。想いなんて伝えられたら、君は、困って黙り込んでしまうことなんて、もう痛いほど知っているのに、僕だって、そのむずかしさを何度も味わっているのに、それでも言ってしまう。全部言ってしまう。言いすぎてしまう。

せっかく積み上げた幸せを今度は自分の手で崩してしまう。

 

そしたらまた埋めたはずの溝が現れた。そんなときに偶然、君にまつわるあれこれを耳にした。あの子も、その子も、どうやら、君に想いを寄せているらしい。でも正直そんな類の話は、慣れていた。だから耐えることができた。今までは。

でも、今回ばかりはだめだ。君がほかの誰かのものになるなんて、やっぱり耐えられない。絶対に耐えられない。

 

限界だった。今まで以上に気持ちが起きて伏せて、溝ができて埋まって、それでもなんとか溺れずに息をしていたつもりだった。だけど、今回ばかりは、そのたった一撃で完全に波にのまれてしまった。息ができなくなった。


だから、もう、また、また、また、伝えた。これ以上、君が僕から遠ざかるのが、怖かった。これ以上、君が僕から離れていくことが耐えられなかった。

 

思い切って電話をする。「今から会いに行ってもいい?」もう夕方の五時半を回りそうだ。

 

僕は、すぐに自転車を走らせた。強く強くペダルを漕いだ。無心だった。イヤホンから聴こえる大好きな音楽たちが、頭の中を駆け回る。もう君を離したくない。

 

君の最寄り駅。改札の前。

「今から何を言うか、もう分かるでしょ。」

そう言うと、君は笑った。

 

「付き合って。」こんな真っすぐな言葉、初めて口にした。だけど、もう、僕が伝えたいのは、これだけだった。これを伝えることさえできれば、返事は何でもいい。期待もしていない。君のことを離さないための言葉だった。

 

「やっぱり友達のままでいたい。」君からの返事は、変わらずこうだ。君は、「人を好きになることができない」と言って、下を向いた。だけど、僕は、そんな君を見ることが、足元ばかり見る君の姿を見ることが、とても悲しい。だから、「下を向かないで。」それだけ言った。

 

君に会うと、やっぱり安心して、僕のそばにいる気がして、気が楽になる。だから、勝手に口が動く。すると、話が弾む。

 

冬の訪れ。こんな季節になると、人肌が恋しくなる。そんなことを話して、君の手を握った。君は、僕の手を握り返してくれた。君の手は、白くて、柔らかくて、とても綺麗だ。少し歩こうか。そう足を踏み出して、また手を繋ぐとき、君は一瞬、指を絡ませようとしたけど、あれはどういうことだったのだろう。駅のロータリーには、もうイルミネーションが飾られていた。光の中、手を繋いで少し歩く。君と僕で。

 

どうやら、自分なりに努力をすれば、予知夢であってほしいと願ったものを、本当に予知夢にすることはできるらしい。

 

雨が降ってきた。小粒の雨が君の髪を濡らす。僕は、その柔らかい髪に触れる。髪いっぱいに広がる小さな水滴は、月の光に照らされて、麗しく光っていた。それは、ここから見えるイルミネーションより、ずっとずっと綺麗だった。

 

ずっと一緒にいたい。

 

「ありがとう。」最後にそれだけ伝えて、僕は、また自転車を走らせた。ペダルを強く漕げば漕ぐほど、雨もまた頭に打ちつけるように強くなった。傘はない。空はもう真っ暗だ。イヤホンから聴こえる大好きな音楽が、頭の中を駆け回る。自転車と音楽、そして、雨。映画の主人公になった気分だ。それは、これまでの人生で一番、気持ち良くて、冷たくて、どこまでも、あたたかい雨だった。

 

 


映画の主人公は長く続かなかった。頓馬な僕は、時間が経つと、たしかに感じたはずの幸せを、すぐに疑ってしまう。そして、また、何度でも分からなくなる。

 

君のことが好き。たしかに好き。
だけど、君のことが怖い。とても怖い。ずっと怖い。君と時間を共にすればするほど、どんどん君のことが怖くなっている。


だから、君ではないあの子の安心感に甘えている。あの子といるとき、自分のなりたい自分でいられるような、そんな気がしている。

 

だけど、これもまた、君を忘れるための口実なのかもしれない。君への想いから逃げるために、無理につくった気持ちなのかもしれない。それとも、今回ばかりは、これまでと違って、本当の気持ちだと思っていいのかな。でも、たとえそうだとしても、こんな僕に、君かあの子か選ぶ権利なんてそうそうない。

 

でも、考えたい。

街を照らす光を見るとき、隣にいてほしいのは、だれだろう。
暖炉のあるあったかい部屋で、映画を一緒に観たいのは、だれだろう。
唇を噛み締めて、少し目を逸らして、ずっと手を繋いでいたいのは、だれだろう。

 

やっぱり、考えれば考えるほど分からない。

 

だけど、ひとつだけ、確実なものがあった。

朝目が覚めて、最初に頭に浮かぶのは、君の顔だ。夜眠る時、瞼の裏に浮かぶのは、君の顔だ。会いたいのは、いつも君だ。

 

結局、何度考えても、そうだ。

 

君以外の人を好きになろうとすることは、結局、ただの逃げ道だ。

 


また、定期試験がやって来た。

 

君と話したいから、放課後、君とふたりきりで勉強をした。幸せだった。帰り道、手を繋ぎたかった。だけど、できなかった。

 

改札を抜けて、別れの言葉を交わす。 

 

「今日はありがとう。勉強頑張ろう。じゃあまた明日。またね。バイバイ。」

 

突然だけど、今のところ、これが君と交した最後の言葉だ。

 

 

あれから、何も変わらないまま、時間だけが過ぎていく。

 

 

ちっぽけな僕は、何も考えていなかった。君の気持ちなど、何も考えられていなかった。ただひたすら、自分の気持ちを君に投げつけることだけに執着して、これを受け止める君の立場など、何も考えていなかった。


君の「見える部分」には敏感なくせに、「見えない部分」には全く気づくことができなかった。

 

でも、だけど、全てが思い通りにいくとは思わないけれど、話せないことはさすがに悲しい。悲しすぎる。

 

「もういっそ全部忘れたい」そんなふうに思うこともあるけれど、思い出すのは今日も君のことばかりだ。

 

会いたくないけど、会いたい。話したくないけど、話したい。


正直全く分からない。君のことも自分のことも。知らないんじゃなくて、分からないんだ。知っているけど、分からないんだ。


勝手に好きになって、勝手に苦しんで、勝手に想いを告げて、勝手に泣いて、本当に馬鹿みたいな話だ。

 

この痛みを治す薬、君に処方してもらいたい。

  

もし僕が裁判長になれるなら、僕を苦しませた罪で君のことを裁くだろう。
もし僕がバンドマンになれるなら、君への想いだけで音楽を作るだろう。
もし僕が君の一番になれるなら、君のことを世界で一番幸せにするだろう。


君に出会ってから、苦手なラブソングがやけに近く感じる。あのバカげたラブソングの、嘘みたいな恋愛映画の、ヒロインに重ねてしまうのは、いつも君なんだよ。

 

これから先どんなことがあろうと、僕の高校生活は、もう全て君だ。

 

僕の全てを君に託して、もう空っぽになってしまいたい。ボロボロになってもめげない自分が大嫌いだ。

 

君のことがこの世で一番大嫌いなのに、君のことが好きで好きで仕方がない。
君のことがこの世で一番怖いのに、君のことが好きで、好きで、好きで、好きで、もうわけが分からない。頭を悩ませる力ももうない。


早く「好き」じゃなくて、「好きだった」と言えるようになりたい。


これから先、誰に出会おうとどんな恋をしようと、その度に僕は君を思い出して、また苦しくなる。

 

もし、君を好きでいることがこんなに苦しいことだと分かっていても、僕はまた君のことを好きになる。

 

誰かのことをどうしようなく好きになることの喜びと苦しみ、誰かのことをどうしようもなく好きになると、どうしようもなく苦しくなること、でも、それが実りそうになると天に昇るほど嬉しいこと、全部君が教えてくれた。