無題3

 

 

寒い。白い吐息にどこか胸がおどる。猫がこたつで丸くなるには、もってこいの季節だ。恋人とひとつのマフラーを一緒に巻くには、もってこいの季節だ。
君のことを忘れるには、僕の心はまだ寒すぎたのかもしれない。

 

 

2020年、苦しかった。しんどかった。さみしかった。一年がもうすぐ終わる。もやもやと僕を曇らすこの気持ちを弱りきったこの体に抱えたまま、年を越すわけにはいかなかった。

「今は、この気持ちを忘れようと頑張っているところだけど、でも、だけど、もし、また、だめだったら、また、好きになってもいいかな。」

そんな中途半端な決意とちっぽけな妥協の手紙を君に送った。

 


年が明けた。僕の心と体はまだうつが続いている。今は自分のことで頭がいっぱいだ。だから、頭の中が「自分」だけで埋まっているあいだにもういっそ、君のことを忘れてしまおう。

そう思っていた。だけど、僕のうつが治れば治るほど、少しずつ僕の心に光が差せば差すほど、君もまた麗しく見えた。

手紙を渡して一ヶ月も経たないうちに、僕はまた我慢できなくなって、君に電話をかけてしまった。僕は、なんて弱いのだ、なんて悪いのだ、そんな薄っぺらな自己嫌悪は君の声ですぐにかき消される。

君はやさしいから、どんなときだって、僕に向き合ってくれる。そして、そのやさしさに僕はどこまでも甘えている。考えないといけないことも、君のやさしさに触れると、まぁ、いっか、どうにかなるか、ってそう思ってしまう。
もしかしたら、君のそのやさしさは、僕にとっては、本当のやさしさではないのかもしれない。
だから、君がやさしくなくなったら、僕は強くなる。君が僕にやさしくすればするほど、僕はどんどん弱くもろくなっていく。
だけど、もし君のやさしさに触れられないとしたら、僕は死ぬほど苦しくなる。

 

 

二月、冬の寒さがいよいよ本格的になってきた。「今日はこの冬一番の寒さです」天気予報士さんは、この言葉を毎日言っている気がする。

 

僕は君と一緒に勉強をした。君が僕の家に来た。楽しかった。嬉しかった。幸せは一瞬だ。帰り道、駅までの道、横断歩道、赤信号、立ち止まる、手を繋いだ。生まれてはじめて、青信号が嫌いになった。

 

三月、寒さが和らいできた。「今日はこの冬一番の寒さです」天気予報士さんのこの言葉も気づけばもう、聞かなくなっている。

 

僕は君とまた、一緒に勉強をした。たしかこの日は、めちゃくちゃ笑ったと思う。なにがそんなに面白かったのかは、よく覚えていないけど、たくさん笑ったと思う。それだけで十分だった。心がいっぱいになったと思う。

 

 

三年生になった。またクラスが離れた。だけど、それでよかった。それがよかった。近くにいればいるほど、苦しくなるから。気持ちがどんどん大きくなって、苦しくなるから。君に執着する理由なんて、もうとっくに失くしている。好き、好き、好きすぎて、おかしくなる。だけど、もしかしたら、好きとか好きじゃないとか、そんなものはもうとっくに越えてしまっているのかもしれない。もう、そんな次元じゃない、というか。

 

五月、君の家へ行った。君の部屋で過ごした。スマートフォンで一緒に動画を見る。たまに体が触れる。帰り道、「帰ったら電話しよう」僕は言う。「明日の夜ならいいよ」君は言う。未来の幸せが決定する。バスに乗る前、少しだけ手を繋いだ。あの日、僕は人生で一番、幸せだったと思う。世界中の誰よりも、幸せだったと思う。叙々苑を食べた人よりも、宝くじが当たった人よりも、幸せだったと思う。

 


三年生になって初めての定期試験がもう終わる。僕の心の調子は良くない。いつものことだ。頭の中がいっぱいになる。友達のこととか、部活のこととか、勉強のこととか、進路のこととか、君のこととか、君のこととか、君のこととか。君のことで苦しむのに、その苦しみを消してくれるのはいつも君だ。君と言葉を交わすだけで、君がただ微笑んでくれるだけで、苦しみが消える。

僕は時々、自分を見失う。でもそんなときに、いつも君は僕を見つけ出してくれる。僕と君はその繰り返しで出来ているんだと思う。

 

何度も電話をした。夜通し、何時間も。たわいもない話を、夜明けまで。終わりはいつも、日の出の頃。

 

何度も写真を撮った。一緒に勉強をしたとき、文化祭、体育大会。心のシャッターは、いつも、ずっと、あたたかかった。

 

何度も一緒に帰った。わざとゆっくり歩いたりもした。わざと遠回りしたりもした。駅の改札を通ると、すぐにさよなら。僕はそれが嫌だから、そのまま立ち止まってまた話す。

 

何度も語り明かした。放課後、人影のない化学室の横の通り、たくさん明かしてくれた。やっぱり電話は苦手、僕への接し方分からない、話し方が分からない、思わせぶりな態度をとっていたかも、ごめん、ごめん、ごめん。君は何度もそう言うけど、そんなの、僕だって、ごめん、ごめん、ごめん。電話しようって何度も誘ってたのも、話しづらくさせてたのも、困らせてたのも、全部、僕がだめだからだよ。思わせぶりな態度って、それは君のやさしさでしょ。ごめんっていうのも、君がやさしいからでしょ。そのやさしさに甘える僕が、全部悪いんだよ。

 

何度も告白した。じっと、ただ心のなかで想うだけでは、おかしくなるくらい、好きなんだ。君からの返事は決まっている。「友達のままでいたい」

僕だってわかっている。難しさをわかっている。もうなんでもいいから、なんでもいいよ。
君にとって僕がどんな人でもいいから、ずっとそばにいてほしい。ずっと、僕の日常に君がいるだけで、それだけで、楽になって、目の前が明るくなるから。

 

君が近くにいてくれるだけで、すごくすごくうれしい。難しいことばかりだけど、解けない問題ばかりだけど、僕はただ、君にやさしくしたい、君を笑わせたい、君の前でかっこつけたい、だけだ。

 

 

ちょっと、これから、ちょっと、怖い話になるのだけれど、
秋にね、山梨に住む四人家族のおうちが全焼して、夫婦が亡くなったって事件があった。犯人は、四人家族の長女の知人である十九歳の少年で、事件の動機について、彼は、「(長女に)一方的に好意を抱いていたが、思い通りにならず家に侵入した」って。すごく怖かった。許せないと思った。絶対に許せないと思った。胸が痛かった。

でも、でもね、少しだけ、本当にほんの少しだけ、彼に同情する自分がいた。そんなに、おかしくなるほど、ひとを殺してしまうほど、おうちを焼いてしまうほど、相手の全部を壊してしまいたくなるど、だれかを好きになるきもち、ちょっとだけ、分かる。だけど、そんなふうに思う自分が、何よりも、一番、許せなかった。

 

あとね、もう三年くらい前かな。姉の知人が地元のショッピングモールの屋上から飛び降りて亡くなった、ということがあって、話によると、彼がそこまで追い込まれたのは、同棲していた恋人と別れたのが原因だった。当時の僕は、どうしてそんなことで死ねるんだ、って、彼の気持ちが全く理解できなかった。だけど、だけどね、今ならわかる。好きな人が目の前からいなくなるなんて、死んだほうがましだ。彼の気持ちが、心の底からわかる。

 

ヤングスキニーというバンドに、「世界が僕を嫌いになっても」っていう曲がある。その曲のサビの冒頭に「君のためなら死んでもいいかな」って歌詞があって、僕は最近、この歌詞と同じように考えるようになった。君に相手にしてもらえないのなら、この想いが実らないのなら、いっそ消えたほうがましだ。君のためなら死んでもいいかな、って思うようになった。

なんか、恋ってやけくそだって言うけれど、なんか、恋って、残酷だね。

 

 


きっと、何年経っても思い出すんだ。好きだということを、思い出すんだ。どうしようもなく好きで好きで仕方がないことを、思い出すんだ。もうどうしようもないことを、思い出すんだ。


数でいえば、正直嫌いなところのほうが多いよ。だけど、そんなこと、忘れるくらい、好きなところがたくさんあるんだ。

 

君が微笑んでくれるなら、チャンスで三振しても、テストで0点取っても、何とかなる気がするんだ。

 

 

君のためじゃないものを探してみたけど、なにもなかった。

 

 

2021年12月31日、今年ももうすぐ終わる。終わってしまう。

僕はいつまで、君を好きでいるのだろう。