おもひでぽろぽろ

 

 

人は、なにか終わりを迎えるとき、「長いようで短かった」ってよく言うけど、それは、終わりを迎えるからそう感じるだけで、実際は、その渦中というものは、長くて、終わりが見えないくらい、長くて、もう諦めそうになるくらい、長くて、長いものだと思う。

 

 

高校生活は、とても長かった。めっちゃめっちゃ長かった。

 

 

もう一生目が覚めなければいいのにと思ってしまった夜があった。戦いたいのにどうしても力が湧かずに沈んでしまった朝があった。

 

たいへんな三年間でした。

 

本当に苦しいとき、持ち合わせた言葉では太刀打ちできなくなった。なんか、全部がこわくなって、かなしくなって、でも、その暗いきもちをだれかに見つけてもらいたくて、よくわからなかった。

 

命まで取られるわけじゃないって分かっているけれど、命まで取られてしまうみたいに考えてしまうから、苦しいのだと思う。

 

ある日、突然、あの、バカげたラブソングが、薄っぺらい自己啓発本みたいな歌が、その全部が自分の音楽になって、その衝撃に圧倒されて、死ぬほど苦しくなったり、嬉しくなったりもした。

 

人と関わることが下手とか、苦手とか、たぶんそんなんじゃなくて、なんか、ただただ、人との関わり方がわからなかったのだと思う。

 

だれかに嫌われることが何よりも怖かった。

 

三年間、誰かに極端に嫌われることなく、犯罪を犯すこともなく、死ぬこともなく、やってこれたことが、奇跡のようにさえ感じる。

 

 

青春という言葉は最後まで好きになれなかったけれど、あえて「青春」の話をするとしたら、

 

「ごめんね青春!」っていうドラマのなかで「勝ちより負けの方が青春」って言葉があるのだけど、苦しんだあの日々が「負け」とするなら、それを乗り越えた今味わう達成感とか疾走感とか、最後に、こんな清々しい気持ちを味わうことこそが、青春なんじゃないかな、って思う。

 

 

何者にもなれない人生が一番さみしいと思っているけれど、何者かになれる自信がない。だから、いつか手に入れたい。

 

 

苦しい高校生活だったけど、いつか、高校生という不安定な輝きが恋しくなる日が来るかもしれない。戻りたい、と願う日が来るかもしれない。

 

 

卒業式で答辞をさせてもらった。だからここにその言葉を残しておこうと思う。

 

そして最後にもうひとつだけ、

 

「三年間の高校生活のなかで、私はさまざまな人に出会いました。すぐに打ち解けた人、仲が深まった人、一方で最後までそりが合わなかった人、つかみどころのなかった人もいました。

例えば、雨が降れば、ほとんどの人の気分は晴れません。そこから落ち込む人さえいます。
だけど、だけども、その雨で草木が育ち、花が咲き、その雨に救われる人がいます。私はそんな人たちのことをいつだって忘れることのない人でありたい。これからの私たちは、そうあらなければならない。そんな気がします。」

 

的なことを答辞で一番言いたかったのだけれど、先生に、「分かるんやけど、なんか、よく分からない」って言われた。分かるんやけど、なんか、よく分からない、そんな感じのこと、たしかに、めっちゃある。って思った。

 

答辞をつくるにあたって、先生と分かりあえる感覚が、たくさんあったことが嬉しかった。

 

ちょっとだけ、やさしい表現者になれた気がする。

 

 

 

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答辞

 


 凍てつく寒さが少しずつ穏やかになり、桜のつぼみがいよいよ色づき始めました。


 三年前の春、希望に胸をふくらませながら市立高校での学校生活が始まりました。初めは慣れないことばかりで張り詰めた毎日でしたが、入学後間もなく行われたスポーツテストを通して、クラスメイトとの距離が縮まりました。初めての校外学習では、観光客で賑わう京都の町を新しい友達と会話を楽しみながら散策しました。体育大会では、みんなで声を張り上げ盛り上がりました。団をまとめる三年生の背中はとても大きく見えました。秋の文化祭では、初めて自分たちだけで一から出し物を作ることに苦戦しながらも、完成のときには大きな達成感とクラスの一体感を味わうことができました。また、三年生のクラス劇を見て完成度の高さに圧倒され、自分たちが三年生になる日のことを思い浮かべました。そして、球技大会、合唱祭と、市立の伝統行事を目一杯楽しんだ私たちは、一年生が終わる頃には市立での学校生活に身も心も馴染んでいました。

 

 しかし、そんな矢先、未知の脅威が私たちを襲いました。新型コロナウイルスです。突然、外出の自粛が余儀なくされ、学校は三ヶ月もの間、休校になりました。つい最近まで当たり前のようにそばにいた友達や部活仲間に会えないことは想像以上に寂しいものでした。もちろん、LINEやビデオ通話など電波に乗せて連絡を取り合うことはできましたが、そのたびに面と向かって話すことがどれほど楽しいことであったか、それをひしひしと思い知らされました。


  そうして長い長い休校期間が終わり、六月から少しずつ学校が再開され、私たちは二年生になりました。しかし、体育大会は中止、夏休みは十日間だけ。密を避け、マスクをつけ、自分の席で静かにご飯を食べ、放課後には机や椅子を消毒する、そんな日々でしたが、それでも私たちは、楽しむことをあきらめませんでした。一般招待客のいない一日だけの文化祭では、二年生になって初めてクラスメイトと一緒に、行事に取り組みました。本当に楽しかったです。そのなかで、「何かを始めるには、『そこにいるみんなの存在に心を配り、さまざまな価値観を尊重することが大切である』ということ」を知りました。だからこそ、お互いを思いやる努力をしたいと思うようになりました。行事を通して、私たちは、お互いを大切だと思う気持ちが強くなりました。修学旅行は四月に延期となりましたが、二年生で仲が深まった人たちと四月まで一緒にいられる、そんな気持ちで、私たちは高校生活最後の一年を迎えました。

 

 しかし、進級後、つらい報告がありました。修学旅行の中止です。出発の三日前のことでした。これまでも、何かが突然中止になることにはもう慣れてしまっていた私たちでしたが、そんな私たちでさえ耐えがたい報告でした。着々と準備を進め満を持してようやく決行されるはずだった修学旅行がなくなることは本当に残念でなりませんでした。その後、「今年こそは」と意気込んでいた体育大会も中止となりました。

 

 「思い描いていた三年生にはなれなかった」と落胆する私たちのために先生方が思い出を作る場を用意してくださいました。体育大会と文化祭を合わせた「市立祭」です。ずっと我慢し抑え込んでいた思いに火がつきました。

 

 一度火がついた思いはもう消せません。実行委員の人たちが率先して企画し開催してくれた「ラケットリレー」を楽しみ、遠足で行ったユニバーサル・スタジオ・ジャパンでも思う存分楽しみ、そしていよいよ市立祭の準備が始まりました。密にならないように厳しく定められた規則のなかで私たちはそれまでの悔しい気持ちを全て晴らすかのように精一杯のことをやり遂げました。受験勉強をしながら、団の演舞の振付や衣装を考え、クラスのビデオや有志のステージの準備をし、久しぶりに目まぐるしい毎日を過ごしました。リレーや綱引きができなくても、クラス劇ができなくても、市立祭は私たちの特別な時間でした。「市立祭を通じて仲間とともに奮闘したかけがえのない時間」が私たちの記憶のなかにたしかに残りました。

 

 コロナウイルスの感染拡大により、私たちの行動は厳しく制限されましたが、学校生活は不思議と楽しいものでした。

 

ウイルスによって日常生活が大きく変化しても、私たちは変わらず誰かや何かに心をときめかせました。「部活動」に心をときめかせた人もいるでしょう。「勉強の楽しさ」にときめきを覚えた人もいるかもしれません。私たちは誰かや何かのことをどうしようもなく好きになることのすばらしさを知りました。

 

 私の心をときめかせたのは「人」でした。

 

 三年間で、たくさんの人と仲が深まりました。ですが、上手く距離感がつかめなくなり、苦しく、そして切なくなることもありました。一方で、その苦しさ、切なさに胸を高鳴らせる自分もいました。きっとそれは私たちが今、青春時代の真っ只中にいるからだと思います。そして、心をときめかせてくれる「誰かや何か」こそが、いつも私たちを奮い立たせる原動力となりました。そのときめいた瞬間瞬間は、これからも私たちだけのかけがえのない宝物であり続けるはずです。


 そして私たちは友達という宝物も見つけました。日常生活が突然マスクや消毒一色に染まっても、友達は変わらずいつもそばにいてくれました。友達と笑い合う時間は変わらずそこにありました。見えない敵がもたらしたやるせなさを「友達」という存在がいつも満たしてくれました。


 思い出に「価値」なんて言葉はそぐわないかもしれませんが、それでも、もし思い出に価値があるとしたら、それは「何をしたか」ではなく、「どれだけときめいたか」、そして「誰といたか」で決まる、これが私たちが三年間で得た最も大きな学びだと思います。

 

 三年間の高校生活では、激しい環境の変化、激しい感情の波に心が追いつかなくなることがありました。夜の闇が暗すぎて、朝の光が眩しすぎて、自分というものが分からなくなることがありました。でも、そんなとき、いつもそばに先生や家族がいました。未熟でおぼつかない私たちをあたたかく見守り導いてくださいました。血気に逸る私たちに真剣に向き合い続けてくださいました。本当にありがとうございました。


 先生方や友達との別れはつらくもありますが、私たちは三年間で得た学びを胸に、これからの人生を切り開いていきます。


               令和四年三月一日      卒業生代表  

 

 

 

 

 

 

こんな自分だけど、最後くらいは、友達の大切さに気付けたと思う。

 

終わりが近づいてから初めて気づく、とか、失ってから気づく、とか人はよく言うけれど、それでいいと思う。気づけたのだから、それだけでいいんだと思う。

 

高校生活。最後くらいは言おうと思う。

ありがとう。