ひとりごとを大声で言いたい

 

 

月曜日やのにもう疲れてる。満身創痍の独り歩き。まあでも疲れたとか言えるほどまだなにもしていない。オワコン人間。オワコンデビューは中二の頃。オワコンデビュー五周年。ありがとう。

好きなものは「夕方の匂い」で、嫌いな言葉は「アオハル」。人ってなにか良いこと考えてるときが一番豊かで気持ち悪い顔してる。お菓子は器に移して食べたほうが美味しい。手のスナップ効かせすぎてボウリング下手くそ。ソフトボールでピッチャーやったことある人あるある。

 

好きなバンドは、スピッツandymori、ハンブレ、クリープ、リュクソ、マカえん。サウシーもよく聴くけど、ボーカルのことがどうしても好きになれない。セカオワには何度も人生を救われた。人生の音楽。最近は上野大樹をめっちゃ聴く。K-POPはあほみたいにヲタクをしてたことがあるから詳しいほうだと思います。映画めっちゃすき。毎日観てたときもある。好きな映画は、「街の上で」「his」舟を編む」「海街diary」「窮鼠はチーズの夢を見る」 「50回目のファーストキス」「Call me by your name」「最高に素晴らしいこと」「スパイキッズ」「シングストリート」、おわらない、両手指だけでは足りないし、足の指借りても足りない。好きなドラマは、「ごめんね青春!」「マルモのおきて」「ハガネの女」「中学聖日記」「表参道高校合唱部!」「きのう何食べた」「いつ恋」「カルテット」「最高の離婚」「大豆田とわ子と三人の元夫」、おわらない。固有名詞ばっか並んでやばい字面。脚本家の坂元裕二さんと映画監督の今泉力哉さんとフワちゃんを崇拝している。毎週土曜22時から10ちゃんでやってる初恋の悪魔、絶対みて。


実は、将来は、脚本家か、音楽家か、詩人か、ソフトボール選手になりたいと思っている。もしなれなかったら、太宰治になると思う。人間失格になると思う。

 

生命力のかたまりみたいな人、怖い。自分のことがこの上なく情けなくなる。でも、元気なときは、スピッツを聴いているみたいな顔をして、WANIMAを聴くことができます。険しい顔をして、サンボマスターも聴きます。

 

ストレスで足の指の爪をよく剥がしてしまうので、元気かどうかは足を見れば分かります。

 

自分のこと客観的に見る力はあるのに、客観的に見た自分がきもすぎて泣けてきます。

 

影が薄いから、自動ドアが反応してくれない。あと人とよくぶつかる。でも喧嘩はしません。

 

人が10の力で考えることを、20も30もの力で考えてしまう。コスパ悪い。生きる気力がないのに、友達への誕生日プレゼントなんか買っちゃいます。課題いっぱい溜まっているのに暇になるのなんでなん。人いっぱいのバスで、自分の隣だけ誰も座ってこないのなんでなん。

 

自分に一番期待しているのはいつでも自分。我に返って苦しくなるのなら、ずっと浮き足立っていたいよね。

 

誰かのことを「知りたい」っていう熱量と、その相手との距離感は、必ずしも比例させるべきだとは限らないってことを理解できるようになったから、大人に少し近づいてしまったかもしれない。マクドじゃなくてケンタッキーを選ぶようになったし、ムヒ塗った後フーフーしなくなったし、大人に少し近づいてしまっているのかもしれない。

 

大人になるってことは、「『そうじゃない人』のことを考えられること」だと最近思う。ただ少数派であるだけの人たちのことを、ただ多数派であるだけの人たちが「マイノリティー」とか呼ぶのが気持ち悪い。自分がそうでも、「そうじゃない人」がいるのだから、極力口には出さない。「そうじゃない人」のことを考えられる。「嫌い」を「苦手」とか「好きじゃない」って言い換えられる柔軟性。だいじ。

 

ポテト食べてて、めっちゃ長いの見つけたときに「見て!」って誰かに自慢する。点字ブロックを踏まないように歩く。アスファルトに咲いてるなんでもないお花に気付く。そんなかんじの余裕。一番だいじ。

 

セクシュアルをその人のことを説明する材料にしない。これもだいじ。

 

「いい人生」っていうのは、「死にたいと思わない人生」で、「考える」っていうのは、「考えないようにすること」ですよ。


ノスタルジックもアンビバレンスも打ちのめされる前にことばにしましょう。

 

すぐに人のことを好きになります。すぐに惚れます。それで、すぐに傷つきます。誰ともひとつになれないのなら、「好き」とかいう感情消し去ってほしいとか思います。「好きじゃない、絶対好きじゃない」と言い聞かせても、back numberを聴いて思い出してしまうなら、それは全然「恋」っすね。写真は全部消したのに、一緒に行った喫茶店のレシートだけは捨てられないでいたりする。分かります。

 

恋心はもっともやさしい殺意です。


この世で一番怖いことは、音楽が止まることですよ。あぁー想像するだけで恐ろしい。あの、イヤホンから聴こえる音楽が止まる瞬間。ラスサビ直前で目的地に着いて、しょうがなく音を切る瞬間。あぁー想像するだけで恐ろしい。

 

「恋人ごっこ」とか「シンデレラボーイ」をLINEのプロフィールのミュージックに設定してるのを見つけると、なんかめっちゃ歯がゆい気持ちになる。「恋人ごっこ」とか「シンデレラボーイ」をLINEのプロフィールのミュージックに設定してる人のなかで、キモくないやつなんか、いません。

 

自己啓発本みたいな歌が好きです。サウシーの「世界の果て」とか、マカえんの「MUSIC」とか、ハンブレの「BGMになるなよ」とか。あ、でも、片思いソングは大好きです。なぜなら、クソデカ片想いの思い出がありますからね。

 

ほんで、あいみょん尾崎世界観はセックスの話ばっかするから、大好きです。たぶん、いよいよセックスが全てを解決する、みたいなことを考える年頃になりました。どないやねん。

 

「『人は綺麗でいなければならない』みたいな固定観念が人を縛りつける」みたいな考え方があるけど、人は誰でも綺麗でいたいでしょうが。

 

苦しいと、やさしくなれます。

おもひでぽろぽろ

 

 

人は、なにか終わりを迎えるとき、「長いようで短かった」ってよく言うけど、それは、終わりを迎えるからそう感じるだけで、実際は、その渦中というものは、長くて、終わりが見えないくらい、長くて、もう諦めそうになるくらい、長くて、長いものだと思う。

 

 

高校生活は、とても長かった。めっちゃめっちゃ長かった。

 

 

もう一生目が覚めなければいいのにと思ってしまった夜があった。戦いたいのにどうしても力が湧かずに沈んでしまった朝があった。

 

たいへんな三年間でした。

 

本当に苦しいとき、持ち合わせた言葉では太刀打ちできなくなった。なんか、全部がこわくなって、かなしくなって、でも、その暗いきもちをだれかに見つけてもらいたくて、よくわからなかった。

 

命まで取られるわけじゃないって分かっているけれど、命まで取られてしまうみたいに考えてしまうから、苦しいのだと思う。

 

ある日、突然、あの、バカげたラブソングが、薄っぺらい自己啓発本みたいな歌が、その全部が自分の音楽になって、その衝撃に圧倒されて、死ぬほど苦しくなったり、嬉しくなったりもした。

 

人と関わることが下手とか、苦手とか、たぶんそんなんじゃなくて、なんか、ただただ、人との関わり方がわからなかったのだと思う。

 

だれかに嫌われることが何よりも怖かった。

 

三年間、誰かに極端に嫌われることなく、犯罪を犯すこともなく、死ぬこともなく、やってこれたことが、奇跡のようにさえ感じる。

 

 

青春という言葉は最後まで好きになれなかったけれど、あえて「青春」の話をするとしたら、

 

「ごめんね青春!」っていうドラマのなかで「勝ちより負けの方が青春」って言葉があるのだけど、苦しんだあの日々が「負け」とするなら、それを乗り越えた今味わう達成感とか疾走感とか、最後に、こんな清々しい気持ちを味わうことこそが、青春なんじゃないかな、って思う。

 

 

何者にもなれない人生が一番さみしいと思っているけれど、何者かになれる自信がない。だから、いつか手に入れたい。

 

 

苦しい高校生活だったけど、いつか、高校生という不安定な輝きが恋しくなる日が来るかもしれない。戻りたい、と願う日が来るかもしれない。

 

 

卒業式で答辞をさせてもらった。だからここにその言葉を残しておこうと思う。

 

そして最後にもうひとつだけ、

 

「三年間の高校生活のなかで、私はさまざまな人に出会いました。すぐに打ち解けた人、仲が深まった人、一方で最後までそりが合わなかった人、つかみどころのなかった人もいました。

例えば、雨が降れば、ほとんどの人の気分は晴れません。そこから落ち込む人さえいます。
だけど、だけども、その雨で草木が育ち、花が咲き、その雨に救われる人がいます。私はそんな人たちのことをいつだって忘れることのない人でありたい。これからの私たちは、そうあらなければならない。そんな気がします。」

 

的なことを答辞で一番言いたかったのだけれど、先生に、「分かるんやけど、なんか、よく分からない」って言われた。分かるんやけど、なんか、よく分からない、そんな感じのこと、たしかに、めっちゃある。って思った。

 

答辞をつくるにあたって、先生と分かりあえる感覚が、たくさんあったことが嬉しかった。

 

ちょっとだけ、やさしい表現者になれた気がする。

 

 

 

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答辞

 


 凍てつく寒さが少しずつ穏やかになり、桜のつぼみがいよいよ色づき始めました。


 三年前の春、希望に胸をふくらませながら市立高校での学校生活が始まりました。初めは慣れないことばかりで張り詰めた毎日でしたが、入学後間もなく行われたスポーツテストを通して、クラスメイトとの距離が縮まりました。初めての校外学習では、観光客で賑わう京都の町を新しい友達と会話を楽しみながら散策しました。体育大会では、みんなで声を張り上げ盛り上がりました。団をまとめる三年生の背中はとても大きく見えました。秋の文化祭では、初めて自分たちだけで一から出し物を作ることに苦戦しながらも、完成のときには大きな達成感とクラスの一体感を味わうことができました。また、三年生のクラス劇を見て完成度の高さに圧倒され、自分たちが三年生になる日のことを思い浮かべました。そして、球技大会、合唱祭と、市立の伝統行事を目一杯楽しんだ私たちは、一年生が終わる頃には市立での学校生活に身も心も馴染んでいました。

 

 しかし、そんな矢先、未知の脅威が私たちを襲いました。新型コロナウイルスです。突然、外出の自粛が余儀なくされ、学校は三ヶ月もの間、休校になりました。つい最近まで当たり前のようにそばにいた友達や部活仲間に会えないことは想像以上に寂しいものでした。もちろん、LINEやビデオ通話など電波に乗せて連絡を取り合うことはできましたが、そのたびに面と向かって話すことがどれほど楽しいことであったか、それをひしひしと思い知らされました。


  そうして長い長い休校期間が終わり、六月から少しずつ学校が再開され、私たちは二年生になりました。しかし、体育大会は中止、夏休みは十日間だけ。密を避け、マスクをつけ、自分の席で静かにご飯を食べ、放課後には机や椅子を消毒する、そんな日々でしたが、それでも私たちは、楽しむことをあきらめませんでした。一般招待客のいない一日だけの文化祭では、二年生になって初めてクラスメイトと一緒に、行事に取り組みました。本当に楽しかったです。そのなかで、「何かを始めるには、『そこにいるみんなの存在に心を配り、さまざまな価値観を尊重することが大切である』ということ」を知りました。だからこそ、お互いを思いやる努力をしたいと思うようになりました。行事を通して、私たちは、お互いを大切だと思う気持ちが強くなりました。修学旅行は四月に延期となりましたが、二年生で仲が深まった人たちと四月まで一緒にいられる、そんな気持ちで、私たちは高校生活最後の一年を迎えました。

 

 しかし、進級後、つらい報告がありました。修学旅行の中止です。出発の三日前のことでした。これまでも、何かが突然中止になることにはもう慣れてしまっていた私たちでしたが、そんな私たちでさえ耐えがたい報告でした。着々と準備を進め満を持してようやく決行されるはずだった修学旅行がなくなることは本当に残念でなりませんでした。その後、「今年こそは」と意気込んでいた体育大会も中止となりました。

 

 「思い描いていた三年生にはなれなかった」と落胆する私たちのために先生方が思い出を作る場を用意してくださいました。体育大会と文化祭を合わせた「市立祭」です。ずっと我慢し抑え込んでいた思いに火がつきました。

 

 一度火がついた思いはもう消せません。実行委員の人たちが率先して企画し開催してくれた「ラケットリレー」を楽しみ、遠足で行ったユニバーサル・スタジオ・ジャパンでも思う存分楽しみ、そしていよいよ市立祭の準備が始まりました。密にならないように厳しく定められた規則のなかで私たちはそれまでの悔しい気持ちを全て晴らすかのように精一杯のことをやり遂げました。受験勉強をしながら、団の演舞の振付や衣装を考え、クラスのビデオや有志のステージの準備をし、久しぶりに目まぐるしい毎日を過ごしました。リレーや綱引きができなくても、クラス劇ができなくても、市立祭は私たちの特別な時間でした。「市立祭を通じて仲間とともに奮闘したかけがえのない時間」が私たちの記憶のなかにたしかに残りました。

 

 コロナウイルスの感染拡大により、私たちの行動は厳しく制限されましたが、学校生活は不思議と楽しいものでした。

 

ウイルスによって日常生活が大きく変化しても、私たちは変わらず誰かや何かに心をときめかせました。「部活動」に心をときめかせた人もいるでしょう。「勉強の楽しさ」にときめきを覚えた人もいるかもしれません。私たちは誰かや何かのことをどうしようもなく好きになることのすばらしさを知りました。

 

 私の心をときめかせたのは「人」でした。

 

 三年間で、たくさんの人と仲が深まりました。ですが、上手く距離感がつかめなくなり、苦しく、そして切なくなることもありました。一方で、その苦しさ、切なさに胸を高鳴らせる自分もいました。きっとそれは私たちが今、青春時代の真っ只中にいるからだと思います。そして、心をときめかせてくれる「誰かや何か」こそが、いつも私たちを奮い立たせる原動力となりました。そのときめいた瞬間瞬間は、これからも私たちだけのかけがえのない宝物であり続けるはずです。


 そして私たちは友達という宝物も見つけました。日常生活が突然マスクや消毒一色に染まっても、友達は変わらずいつもそばにいてくれました。友達と笑い合う時間は変わらずそこにありました。見えない敵がもたらしたやるせなさを「友達」という存在がいつも満たしてくれました。


 思い出に「価値」なんて言葉はそぐわないかもしれませんが、それでも、もし思い出に価値があるとしたら、それは「何をしたか」ではなく、「どれだけときめいたか」、そして「誰といたか」で決まる、これが私たちが三年間で得た最も大きな学びだと思います。

 

 三年間の高校生活では、激しい環境の変化、激しい感情の波に心が追いつかなくなることがありました。夜の闇が暗すぎて、朝の光が眩しすぎて、自分というものが分からなくなることがありました。でも、そんなとき、いつもそばに先生や家族がいました。未熟でおぼつかない私たちをあたたかく見守り導いてくださいました。血気に逸る私たちに真剣に向き合い続けてくださいました。本当にありがとうございました。


 先生方や友達との別れはつらくもありますが、私たちは三年間で得た学びを胸に、これからの人生を切り開いていきます。


               令和四年三月一日      卒業生代表  

 

 

 

 

 

 

こんな自分だけど、最後くらいは、友達の大切さに気付けたと思う。

 

終わりが近づいてから初めて気づく、とか、失ってから気づく、とか人はよく言うけれど、それでいいと思う。気づけたのだから、それだけでいいんだと思う。

 

高校生活。最後くらいは言おうと思う。

ありがとう。

       

無題3

 

 

寒い。白い吐息にどこか胸がおどる。猫がこたつで丸くなるには、もってこいの季節だ。恋人とひとつのマフラーを一緒に巻くには、もってこいの季節だ。
君のことを忘れるには、僕の心はまだ寒すぎたのかもしれない。

 

 

2020年、苦しかった。しんどかった。さみしかった。一年がもうすぐ終わる。もやもやと僕を曇らすこの気持ちを弱りきったこの体に抱えたまま、年を越すわけにはいかなかった。

「今は、この気持ちを忘れようと頑張っているところだけど、でも、だけど、もし、また、だめだったら、また、好きになってもいいかな。」

そんな中途半端な決意とちっぽけな妥協の手紙を君に送った。

 


年が明けた。僕の心と体はまだうつが続いている。今は自分のことで頭がいっぱいだ。だから、頭の中が「自分」だけで埋まっているあいだにもういっそ、君のことを忘れてしまおう。

そう思っていた。だけど、僕のうつが治れば治るほど、少しずつ僕の心に光が差せば差すほど、君もまた麗しく見えた。

手紙を渡して一ヶ月も経たないうちに、僕はまた我慢できなくなって、君に電話をかけてしまった。僕は、なんて弱いのだ、なんて悪いのだ、そんな薄っぺらな自己嫌悪は君の声ですぐにかき消される。

君はやさしいから、どんなときだって、僕に向き合ってくれる。そして、そのやさしさに僕はどこまでも甘えている。考えないといけないことも、君のやさしさに触れると、まぁ、いっか、どうにかなるか、ってそう思ってしまう。
もしかしたら、君のそのやさしさは、僕にとっては、本当のやさしさではないのかもしれない。
だから、君がやさしくなくなったら、僕は強くなる。君が僕にやさしくすればするほど、僕はどんどん弱くもろくなっていく。
だけど、もし君のやさしさに触れられないとしたら、僕は死ぬほど苦しくなる。

 

 

二月、冬の寒さがいよいよ本格的になってきた。「今日はこの冬一番の寒さです」天気予報士さんは、この言葉を毎日言っている気がする。

 

僕は君と一緒に勉強をした。君が僕の家に来た。楽しかった。嬉しかった。幸せは一瞬だ。帰り道、駅までの道、横断歩道、赤信号、立ち止まる、手を繋いだ。生まれてはじめて、青信号が嫌いになった。

 

三月、寒さが和らいできた。「今日はこの冬一番の寒さです」天気予報士さんのこの言葉も気づけばもう、聞かなくなっている。

 

僕は君とまた、一緒に勉強をした。たしかこの日は、めちゃくちゃ笑ったと思う。なにがそんなに面白かったのかは、よく覚えていないけど、たくさん笑ったと思う。それだけで十分だった。心がいっぱいになったと思う。

 

 

三年生になった。またクラスが離れた。だけど、それでよかった。それがよかった。近くにいればいるほど、苦しくなるから。気持ちがどんどん大きくなって、苦しくなるから。君に執着する理由なんて、もうとっくに失くしている。好き、好き、好きすぎて、おかしくなる。だけど、もしかしたら、好きとか好きじゃないとか、そんなものはもうとっくに越えてしまっているのかもしれない。もう、そんな次元じゃない、というか。

 

五月、君の家へ行った。君の部屋で過ごした。スマートフォンで一緒に動画を見る。たまに体が触れる。帰り道、「帰ったら電話しよう」僕は言う。「明日の夜ならいいよ」君は言う。未来の幸せが決定する。バスに乗る前、少しだけ手を繋いだ。あの日、僕は人生で一番、幸せだったと思う。世界中の誰よりも、幸せだったと思う。叙々苑を食べた人よりも、宝くじが当たった人よりも、幸せだったと思う。

 


三年生になって初めての定期試験がもう終わる。僕の心の調子は良くない。いつものことだ。頭の中がいっぱいになる。友達のこととか、部活のこととか、勉強のこととか、進路のこととか、君のこととか、君のこととか、君のこととか。君のことで苦しむのに、その苦しみを消してくれるのはいつも君だ。君と言葉を交わすだけで、君がただ微笑んでくれるだけで、苦しみが消える。

僕は時々、自分を見失う。でもそんなときに、いつも君は僕を見つけ出してくれる。僕と君はその繰り返しで出来ているんだと思う。

 

何度も電話をした。夜通し、何時間も。たわいもない話を、夜明けまで。終わりはいつも、日の出の頃。

 

何度も写真を撮った。一緒に勉強をしたとき、文化祭、体育大会。心のシャッターは、いつも、ずっと、あたたかかった。

 

何度も一緒に帰った。わざとゆっくり歩いたりもした。わざと遠回りしたりもした。駅の改札を通ると、すぐにさよなら。僕はそれが嫌だから、そのまま立ち止まってまた話す。

 

何度も語り明かした。放課後、人影のない化学室の横の通り、たくさん明かしてくれた。やっぱり電話は苦手、僕への接し方分からない、話し方が分からない、思わせぶりな態度をとっていたかも、ごめん、ごめん、ごめん。君は何度もそう言うけど、そんなの、僕だって、ごめん、ごめん、ごめん。電話しようって何度も誘ってたのも、話しづらくさせてたのも、困らせてたのも、全部、僕がだめだからだよ。思わせぶりな態度って、それは君のやさしさでしょ。ごめんっていうのも、君がやさしいからでしょ。そのやさしさに甘える僕が、全部悪いんだよ。

 

何度も告白した。じっと、ただ心のなかで想うだけでは、おかしくなるくらい、好きなんだ。君からの返事は決まっている。「友達のままでいたい」

僕だってわかっている。難しさをわかっている。もうなんでもいいから、なんでもいいよ。
君にとって僕がどんな人でもいいから、ずっとそばにいてほしい。ずっと、僕の日常に君がいるだけで、それだけで、楽になって、目の前が明るくなるから。

 

君が近くにいてくれるだけで、すごくすごくうれしい。難しいことばかりだけど、解けない問題ばかりだけど、僕はただ、君にやさしくしたい、君を笑わせたい、君の前でかっこつけたい、だけだ。

 

 

ちょっと、これから、ちょっと、怖い話になるのだけれど、
秋にね、山梨に住む四人家族のおうちが全焼して、夫婦が亡くなったって事件があった。犯人は、四人家族の長女の知人である十九歳の少年で、事件の動機について、彼は、「(長女に)一方的に好意を抱いていたが、思い通りにならず家に侵入した」って。すごく怖かった。許せないと思った。絶対に許せないと思った。胸が痛かった。

でも、でもね、少しだけ、本当にほんの少しだけ、彼に同情する自分がいた。そんなに、おかしくなるほど、ひとを殺してしまうほど、おうちを焼いてしまうほど、相手の全部を壊してしまいたくなるど、だれかを好きになるきもち、ちょっとだけ、分かる。だけど、そんなふうに思う自分が、何よりも、一番、許せなかった。

 

あとね、もう三年くらい前かな。姉の知人が地元のショッピングモールの屋上から飛び降りて亡くなった、ということがあって、話によると、彼がそこまで追い込まれたのは、同棲していた恋人と別れたのが原因だった。当時の僕は、どうしてそんなことで死ねるんだ、って、彼の気持ちが全く理解できなかった。だけど、だけどね、今ならわかる。好きな人が目の前からいなくなるなんて、死んだほうがましだ。彼の気持ちが、心の底からわかる。

 

ヤングスキニーというバンドに、「世界が僕を嫌いになっても」っていう曲がある。その曲のサビの冒頭に「君のためなら死んでもいいかな」って歌詞があって、僕は最近、この歌詞と同じように考えるようになった。君に相手にしてもらえないのなら、この想いが実らないのなら、いっそ消えたほうがましだ。君のためなら死んでもいいかな、って思うようになった。

なんか、恋ってやけくそだって言うけれど、なんか、恋って、残酷だね。

 

 


きっと、何年経っても思い出すんだ。好きだということを、思い出すんだ。どうしようもなく好きで好きで仕方がないことを、思い出すんだ。もうどうしようもないことを、思い出すんだ。


数でいえば、正直嫌いなところのほうが多いよ。だけど、そんなこと、忘れるくらい、好きなところがたくさんあるんだ。

 

君が微笑んでくれるなら、チャンスで三振しても、テストで0点取っても、何とかなる気がするんだ。

 

 

君のためじゃないものを探してみたけど、なにもなかった。

 

 

2021年12月31日、今年ももうすぐ終わる。終わってしまう。

僕はいつまで、君を好きでいるのだろう。

満身創痍のひとり歩き

 


あああああああーーーーーーーー

青く広がる空になりたい。空を自由に飛びまわる鳥になりたい。山になりたい。春は緑になりたい。秋は真っ赤に染まりたい。森の奥をひとりで歩いて月に手を届かせたい。そんでそのまま星になりたい。

 

自分との戦い。何よりも、誰よりも、自分との戦い。絶賛戦闘中。「何も考えないこと」は至難の業です。ずーーーーっと何かしら考えています。もう頭百個あっても足りません。

 

こころの中にあるものが、なかなか変わってくれません。やっぱり、むずかしい。何年もずっと自分のこころにそいつはいて、すぐにダメダメ野郎くんになってしまう。

 

アイデンティティ的なところが、とてもむずかしい。まったく、もう、男らしくとか、女らしくとか、だれが決めたんだ。本当にもう、うんざりしちゃうね。男も、女も、いやだね!自分らしく、やで。

 

 

 

みんなが普通にできることができなくなるときがある。こころにいるそいつができなくさせてくる。

 

なんか、すべてが、怖いのです。夜空が暗すぎて、朝日が眩しすぎて、怖いのです。よく分からんけど、ただ漠然と、悲しくて苦しくなることがある。見えない何かに怯えてしまうことがある。一日の終わりに、あぁ今日もまた生きてしまったなとか思う日が続いたりする。さっきまでの元気な自分が突然いなくなって、悲しくなる。自分ではない自分が、自分をかき消してる。ずっと喉に小石がたくさん詰まってる。夜になると、その小石たちが崩れて、流れ出る。これ以上沈んだらあかん、これ以上落ちたらあかん、耐えろ耐えろ、って、なんというか、そういうのを、自分に言い聞かせることで、なんとかうわべの安定を保ってる。そいつが、自分をこんなに掻き立てて、惑わせて、地の底に陥れる。だけど、あまりよくわからない。

 


ときどき、突然すべてのことが怖くなる。目の前が真っ暗になって、頑張っていることも、楽しみにしていることも、全部どうでもよくなる。どうでもよくないのに、どうでもよくなって、もういいや、どうにでもなれ、ってそんな考えだけが、先走りしてしまう。自分を形づくるもの、そのどれかがひとつでも崩れると、途端にすべてのことが、どうしても、分からなくなる。もしかしたら、全部うそなんじゃないか、って怖くなる。傷口や涙を拭うハンカチも、誰かと繋ぐための手も、大切な人への大切なきもちも、全部失くしてしまう。きもちが沈んで、さっきまで聴いてた音楽が聴けなくなってしまう。実のところ得体の知れないそいつにこころを絞られてるのだと思う。指一本で潰せそうなくらい、強く強く削られているのだと思う。息をするのが苦しくなる。なんか、自分が何に落ち込んでいるのか、どうしてこんなに沈んでしまうのか、絶望する理由が分からない。ただただ、目の前が薄気味悪い色になって、狭く細くなっていくのだけ分かる。自分が見えなくなって、また怖くなる。眠れない夜が続いたりもする。眠りたくても、足を掴まれてるような、そんな感覚に陥ったりする。眠れたと思っても、眠れていないことがある。眠っても、怖い夢ばかり見る。

 

だけど、どれだけ暗い夜を過ごしても、それでも必ず朝はやって来る。だから、そのたびに自分を調整する。それでもし何か少しずれていたら、その軌道を修正して、もう力がないのに無理に形を整えようとしてしまう。たぶん、乱れたままだともっと怖くなるから。暗い場所、狭い場所、天井が低い場所、大きな音、大きな声、血、傷、視線、人、雨がふりしきる朝、怖いと思うものがより一層怖くなる。

 

 

そんなことが何度も起きている。


目の前が暗くなると、大切な人のことさえ全部捨てたくなる。捨てきれないくせに、捨てたくなる。全部放り投げ出して、勝手に雑になって、傷つける。自分が一番分かっているはずなのに、何度も何度も同じ過ちを繰り返す。だけど、それでも、こんな自分のことを好きだと言ってくれる人がいる。あなたといるととても楽しいよ、って何年経っても、そう言ってくれる人がいる。優しくしてくれる人がいる。必要としてくれる人がいる。受け止めてくれる人がいる。何も言わずに、ただそっと、寄り添ってくれる人がいる。それなのに、どうして自分はそんなあたたかさや優しさに応えることができないのだろう、踏みにじるようにしてしまうのだろう、粗末にしてしまうのだろう、ってよけいに悲しくなる。そして、そんな人たちのことを適当にしてしまった、その罪悪感にまた潰されそうになる。今すぐひとりひとりにあのときはごめんね、って言いに行かなければならない気がしてくる。 

 

だけど、そのくらい弱い自分なのに、それでも、ひとたび闇を抜け出せば、人に手を差し伸べることが好きになる。誰かを助けることは、きっと自分のためで、あたたかいこころでいることも、きっと自分のためで、これは、何があっても、絶対に、曲げることができないのだと思う。自分が思っているよりも、自分やあの子は大丈夫じゃなくて、だからこそ、どんなときでもそれに気づくことができる人でありたい。こんな自分でも、誰かのためにやらなければならないことがたくさんあるような気がして、自分なりに頑張ってみたいことや、味わってみたいものができたりする。だから、今もとりあえず生きてよう、誰かのために努めてみよう、ってときどきそう思えたりする。

 

 

 

新たな発見。言葉がなくとも、救える感情がある。手を繋ぐだけで、救われることがある。時間はまあまあ解決してくれる。何かと比べて、自分はどこで間違ってしまったのだろう、と落ち込むことがあるけれど、そもそも自分は元からこうであって、なにも間違っていないし、踏み外してもいないのかもしれない。すべてを上手くこなすことが、良い意味でも悪い意味でも、自分を掻き立てる。そして自身への崇高さを示してくれる。だけどそれは、ときどき自分自身を縛りつけることがある。自分と他人との考え方のギャップに、勝手にショックを受けることが多い。必ず最後に愛は勝つことは、あまりない。

 

 

なんか色々失っておりますが。

こんな自分にもくだらないことで笑いあえる人がいる。「休んだ授業のところ一緒に勉強しよう!」と誘ってくれる人がいる。許してくれる人がいる。どんなに遅くなっても、ずっと待ってくれる人がいる。「頑張らなくていい!」「ゆっくり!」「焦るな!」と言ってくれる先生がいる。何も言わずにそっとしておいてくれる家族がいる。話を聞いてくれる家族がいる。ふさぎ込んでいるときに「公園へ行こう!」「山へ行こう!」と外へ連れ出してくれる家族がいる。「歌を歌おう!」「美味しいドーナツ食べよう!」と安らぎをくれる家族がいる。「もう高校生なんだから」とか、「もうそんなことをする歳じゃないでしょ」とか、そんなことは絶対言わないでいてくれる。いくつになっても同じ目線で、変わらない心で、受け止めてくれる家族がいる。終わりの見えない、真っ暗なトンネルをくぐっていても、それでも、なにか出来事を作ろうとしてくれる家族がいる。

 

大切を大切にしたい。なにがあっても信じていきたい。

 

 

 

もうすぐ、2021年になる。せっかく一年間を頑張ったのに、また新しい一年が始まってまうんか、ってもう2021年のことが嫌いになりそう。

 

 

セカオワの深瀬さんがおっしゃっていた。

 

「頑張れていないって、頑張れていることより、すごく苦しいんです」

 

今のとこ、人生で一番胸を打たれたことば。頑張っていないときは、本当に毎日がさみしい。無乾燥で、無意味に感じる。空っぽになる。だから、どんなにしんどくても、頑張っているときのほうが何か生きる意味をもたらしてくれる。そんなふうに考える限り、たぶん頑張らない、ということは一生できない。だけど、まぁ、いつかは、頑張らないことにも意味があるのだ、とか、なんというか、そんなふうに思えるときがくるといいな、とか思ったりする。

 

 


来年は、走りすぎて疲れたら、一度どこかに腰かけたり、立ち止まったり、ほどよくブレーキを効かせながら、ぼちぼちとやっていきたい。まあ、野球でいうとダルビッシュ投手のスローカーブって感じですね。ダルビッシュ投手のスローカーブみたいに、キレと緩急をつけて走ったり歩いたりしていきたい。

 

2020年、お疲れ様やで。

 


ほなねー。👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻👋🏻

 

 

 

無題2

 

 

小暑。夏がはじまる。恋焦がれた我が身を燃えあげるような、あの暑さを乗り越えるには、やはり君が必要だった。

 

 

 


ここにあの記憶を残してから、ちょうど半年くらい経った。ずいぶんと時が過ぎた。あれからまた、僕の心もずいぶんと起きたり伏せたり、言葉では上手く表現できないけど、とにかく激しいものだった。

 

 

どんなに痛みを負っても、何も学ばない。学べない。「好き」が全てを忘れさせる。わずかな希望がさらに僕を苦しませる。まだ頑張れる、まだやれる、どこかでそう思うから、余計にしんどいんだ。もういっそ、こんなもんだって割り切れたら、どれだけ楽だろう。

 

 


二年生が始まって一ヶ月が経つ。初めての定期試験がやって来る。試験期間は、放課後に毎日誰かと教室で勉強をする。なにも言わないけど、黙っているけど、僕は、放課後、君と一緒に勉強がしたい。僕の口からは、とても誘い出せなかったけれど、友達が君を誘ってくれた。おかげで、君も一緒に勉強することになった。やっぱり君がいるだけでもう何でもできる気がする。苦手な数学だって化学だって、何でもできる気がする。君は、僕のふたつ後ろの席でワークを解いている。集中できない。できるわけがない。すぐ後ろに君がいるなんて。ノートと睨めっこしながら、僕は、君のことで頭がいっぱいになる。

 

集中力が切れて、口だけがよく動くようになる。結局、勉強は全く捗らない。だけど、それでいい。それがいい。君と話していられるなら、なんでもいい。君の声をずっと聞いていたい。

 

帰り道、リュックを背負う君の姿を、久しぶりに前にした。胸が張り裂けそうなくらい高鳴るのを感じる。せっかく近くにいてくれるのに、上手く話せない。話したいことがたくさんあるのに、言葉が出ない。

 

前を歩く君の髪を見ていた。長くてやわらかい髪。触れたい。でも、だめだ。もし欲望に負けて、君のもとへ飛び込んでしまったら、きっとすべてが終わってしまう。

 

 

 


気持ちというものは、どうしてこんなにも、何度も何度も移り変わっていくのだろう。

 


定期試験が無事に終わった。だけど、君への想いは、どうしてか、呆気なく終わりそうだ。最近、君の冷たさを感じてしまうようになった。いつからか、君の前を通っても、なにもできなくなった。名前を呼んでくれない。近くにいても誰もいないみたいに、そんなふうに、君は僕の前を通り過ぎる。

 

どうして、どうして。なんで。もしかして、こないだの電話でまた君に想いをぶつけてしまったからかな。もう引かれてしまったかな。嫌われたかな。もう分からない。全く分からない。分かりたくない。


でも、分からないといけない。君の冷たさのわけが知りたい。

 

夜の電話。「君がはっきり言葉にしてくれないと、僕はどんどん崩れてしまうんだよ」。そう言っても、君の言葉はまだ曖昧だった。ああ、もう、もし今夜だめだったら、もうこれで終わりにしよう。終わりにしたい。忘れないといけない。だけど、こんな生半可な焦りは、かえってまた同じ失敗を招くだけだった。 

 

同じクラスの子。今度こそ、絶対に好きになれた。つもりだった。毎日必死に目で追った。つもりだった。だけど、どうやら、やっぱり違ったらしい。また一年前と同じだ。それはただ、君への想いを忘れるための口実でしかなかった。君への想いから逃げようとしただけだった。

 


君を想うことが、しんどい。苦しい。それならいっそ、もう、全部なかったことにしたい。全部なかったことにされたい。そう思ったけど、それは嘘だった。全部なかったことにされるのは、もっと苦しい。自分なりにたくさん考えて、たくさん頑張ったことを全部なかったことにされるのは、とてもとても苦しい。だけど、これをどうすればいいのか、全くわからない。君の気持ちが全くわからない。

 

 

しばらくの間、君とは話さなくなった。

 

 

文化祭がやってきた。君は、ダンスを披露するらしい。できれば、君の踊っている姿は、もう見たくなかった。もし見てしまったら、きっとまた心が爆発する。だけど、体は嘘をつかない。気づいたら、舞台の前の客席に座っていた。いや、でも、あくまでも、僕は、君以外の子を見るためにここに来た、別に君を見るために長蛇の列に並んだわけではない、自分にそう言い聞かせた。

 

だけど、だめだ。全然、だめだ。結局、視線の先はいつも君だ。君の踊る姿が何よりもきれいだ。一番可愛い。どうしようもなく好きなんだ。分かっていたけど、やっぱり心が爆発する。感情を見失いそうになる。それくらい心のうちに抱く全てを奪われる感覚だ。


僕の心がまた爆発しても、君の冷たさはなにも変わらなかった。君はこんなにも僕のたくさんを奪うくせに、奪ったものを返してくれない。そのままどこかへ放り投げてしまう。

文化祭の日。それからの休み時間。廊下ですれ違ったとき。もう見向きもしてくれない。僕は、君の冷たさを感じるたびにもう元には戻れない、どうしようもない現実というものの冷たさを痛いほど感じた。

 


それでも、そんな現実でも、まだ諦めきれない自分がいる。どうしても声が聞きたくなる。欲しくて、欲しくて、おかしくなる。だから、電話をしてしまう。奪われたものを取り戻したくて、言葉を交わす。だけど、やっぱり、君は前とは違う。乗り気でないように思える。結局、話は弾まない。

 


また、定期試験がやって来る。君が金曜日の放課後、教室に残って勉強するって言うから、僕は月曜日から一週間、何でも頑張れた。頑張った。そして、金曜日の放課後がやって来た。やっとだ。

 

だけど、君は何も言わずに帰ってしまった。

 

頭が真っ白になった。目の前が一気に暗くなった。なにがなんだか分からなくなった。ずっと楽しみにしていたのに。一週間募り続けた僕の楽しみは、いったいどうなるの。どこへ行くの。

 

 


今から、自分勝手な悪口を言おうと思う。君の悪口を言おうと思う。

君は、いつもそうだ。僕がいつも僕のなかの何かを犠牲にして、君のためだけにずっと積み重ねてきたものを、君は、ほんの数秒で簡単に崩す。指一本でボロボロにする。だから、僕は、もう何もできない。なにもできなくなる。

 

もうどうでもいいや。どうでもいいけど。

 

 


君の夢を見た。ここ一週間、毎日君の夢を見る。君がずっと手を握ってくれる夢。あれから、君のことなんてどうでもいいと思っていたけれど、どうやら、「夢」というのは「潜在意識」らしい。その「潜在意識」は、時に予知夢のような、現実的な夢を見せてくれるらしい。だから、最近の夢は、僕の「潜在意識」が見せたものらしい。そして、「夢が叶う夢」を見たら、その夢は、現実になるらしい。だから、なにを言いたいかというと、僕が叶えたい夢は、君が手を握ってくれることらしい。そんなことを知ってしまった。

 

 

そうだ。君のことなんてどうでもいい、そんなこと、思うはずがない。

 

とたんに、空気の漏れかかる気持ちの歯車に再びエンジンがかかるのを感じた。

 

やっぱり、声が聞きたい。

電話をする。君のせいで負った傷が君の声で癒されるなんて、おかしな話だ。
もしあれが本当に予知夢なら、あと少しで、君とひとつになれるのだろうか。夢から大きな自信を得てしまった。そしたら、話が弾むようになった。こんなに楽しく話すのは、いつぶりだろう。こんなに自然に話せるのは、いつぶりだろう。こんなに上手く話せるなら、また、直接話したい。直接笑いたい。直接君の心に触れたい。次々と欲が溢れる。夢から得た大きな大きな自信という武器を装備した僕は、その欲をすぐに叶えることができた。

 

 

 

晩秋。秋の終わり。
君と直接話すのは、五ヶ月ぶりだ。目が合うことすら、久しぶりに感じる。すごくすごく嬉しい。持ち合わせた言葉では言い表せないくらい。目の前がぱっと明るくなった。

 

今までの冷たさは幻なのかもしれない。

よく廊下で話すようになった。楽しそうに話してくれる。僕のくだらない話に、目の前で、耳を傾けてくれるのは、いつぶりだろう。君のくだらない話を目の前で聞くのは、いつぶりだろう。君の笑顔を目の前で見るのは、いつぶりだろう。

 

いける気がする。やれる気がする。


電話をするのももう簡単だ。もう何でもできる気がする。気がつくとまた、五か月前と同じように話していた。

だけど、話していくうちに、やっぱり、どんどん想いが募って、思わず、また伝えてしまった。なんだかもう重すぎて、僕一人では抱えきれなくなったから。想いなんて伝えられたら、君は、困って黙り込んでしまうことなんて、もう痛いほど知っているのに、僕だって、そのむずかしさを何度も味わっているのに、それでも言ってしまう。全部言ってしまう。言いすぎてしまう。

せっかく積み上げた幸せを今度は自分の手で崩してしまう。

 

そしたらまた埋めたはずの溝が現れた。そんなときに偶然、君にまつわるあれこれを耳にした。あの子も、その子も、どうやら、君に想いを寄せているらしい。でも正直そんな類の話は、慣れていた。だから耐えることができた。今までは。

でも、今回ばかりはだめだ。君がほかの誰かのものになるなんて、やっぱり耐えられない。絶対に耐えられない。

 

限界だった。今まで以上に気持ちが起きて伏せて、溝ができて埋まって、それでもなんとか溺れずに息をしていたつもりだった。だけど、今回ばかりは、そのたった一撃で完全に波にのまれてしまった。息ができなくなった。


だから、もう、また、また、また、伝えた。これ以上、君が僕から遠ざかるのが、怖かった。これ以上、君が僕から離れていくことが耐えられなかった。

 

思い切って電話をする。「今から会いに行ってもいい?」もう夕方の五時半を回りそうだ。

 

僕は、すぐに自転車を走らせた。強く強くペダルを漕いだ。無心だった。イヤホンから聴こえる大好きな音楽たちが、頭の中を駆け回る。もう君を離したくない。

 

君の最寄り駅。改札の前。

「今から何を言うか、もう分かるでしょ。」

そう言うと、君は笑った。

 

「付き合って。」こんな真っすぐな言葉、初めて口にした。だけど、もう、僕が伝えたいのは、これだけだった。これを伝えることさえできれば、返事は何でもいい。期待もしていない。君のことを離さないための言葉だった。

 

「やっぱり友達のままでいたい。」君からの返事は、変わらずこうだ。君は、「人を好きになることができない」と言って、下を向いた。だけど、僕は、そんな君を見ることが、足元ばかり見る君の姿を見ることが、とても悲しい。だから、「下を向かないで。」それだけ言った。

 

君に会うと、やっぱり安心して、僕のそばにいる気がして、気が楽になる。だから、勝手に口が動く。すると、話が弾む。

 

冬の訪れ。こんな季節になると、人肌が恋しくなる。そんなことを話して、君の手を握った。君は、僕の手を握り返してくれた。君の手は、白くて、柔らかくて、とても綺麗だ。少し歩こうか。そう足を踏み出して、また手を繋ぐとき、君は一瞬、指を絡ませようとしたけど、あれはどういうことだったのだろう。駅のロータリーには、もうイルミネーションが飾られていた。光の中、手を繋いで少し歩く。君と僕で。

 

どうやら、自分なりに努力をすれば、予知夢であってほしいと願ったものを、本当に予知夢にすることはできるらしい。

 

雨が降ってきた。小粒の雨が君の髪を濡らす。僕は、その柔らかい髪に触れる。髪いっぱいに広がる小さな水滴は、月の光に照らされて、麗しく光っていた。それは、ここから見えるイルミネーションより、ずっとずっと綺麗だった。

 

ずっと一緒にいたい。

 

「ありがとう。」最後にそれだけ伝えて、僕は、また自転車を走らせた。ペダルを強く漕げば漕ぐほど、雨もまた頭に打ちつけるように強くなった。傘はない。空はもう真っ暗だ。イヤホンから聴こえる大好きな音楽が、頭の中を駆け回る。自転車と音楽、そして、雨。映画の主人公になった気分だ。それは、これまでの人生で一番、気持ち良くて、冷たくて、どこまでも、あたたかい雨だった。

 

 


映画の主人公は長く続かなかった。頓馬な僕は、時間が経つと、たしかに感じたはずの幸せを、すぐに疑ってしまう。そして、また、何度でも分からなくなる。

 

君のことが好き。たしかに好き。
だけど、君のことが怖い。とても怖い。ずっと怖い。君と時間を共にすればするほど、どんどん君のことが怖くなっている。


だから、君ではないあの子の安心感に甘えている。あの子といるとき、自分のなりたい自分でいられるような、そんな気がしている。

 

だけど、これもまた、君を忘れるための口実なのかもしれない。君への想いから逃げるために、無理につくった気持ちなのかもしれない。それとも、今回ばかりは、これまでと違って、本当の気持ちだと思っていいのかな。でも、たとえそうだとしても、こんな僕に、君かあの子か選ぶ権利なんてそうそうない。

 

でも、考えたい。

街を照らす光を見るとき、隣にいてほしいのは、だれだろう。
暖炉のあるあったかい部屋で、映画を一緒に観たいのは、だれだろう。
唇を噛み締めて、少し目を逸らして、ずっと手を繋いでいたいのは、だれだろう。

 

やっぱり、考えれば考えるほど分からない。

 

だけど、ひとつだけ、確実なものがあった。

朝目が覚めて、最初に頭に浮かぶのは、君の顔だ。夜眠る時、瞼の裏に浮かぶのは、君の顔だ。会いたいのは、いつも君だ。

 

結局、何度考えても、そうだ。

 

君以外の人を好きになろうとすることは、結局、ただの逃げ道だ。

 


また、定期試験がやって来た。

 

君と話したいから、放課後、君とふたりきりで勉強をした。幸せだった。帰り道、手を繋ぎたかった。だけど、できなかった。

 

改札を抜けて、別れの言葉を交わす。 

 

「今日はありがとう。勉強頑張ろう。じゃあまた明日。またね。バイバイ。」

 

突然だけど、今のところ、これが君と交した最後の言葉だ。

 

 

あれから、何も変わらないまま、時間だけが過ぎていく。

 

 

ちっぽけな僕は、何も考えていなかった。君の気持ちなど、何も考えられていなかった。ただひたすら、自分の気持ちを君に投げつけることだけに執着して、これを受け止める君の立場など、何も考えていなかった。


君の「見える部分」には敏感なくせに、「見えない部分」には全く気づくことができなかった。

 

でも、だけど、全てが思い通りにいくとは思わないけれど、話せないことはさすがに悲しい。悲しすぎる。

 

「もういっそ全部忘れたい」そんなふうに思うこともあるけれど、思い出すのは今日も君のことばかりだ。

 

会いたくないけど、会いたい。話したくないけど、話したい。


正直全く分からない。君のことも自分のことも。知らないんじゃなくて、分からないんだ。知っているけど、分からないんだ。


勝手に好きになって、勝手に苦しんで、勝手に想いを告げて、勝手に泣いて、本当に馬鹿みたいな話だ。

 

この痛みを治す薬、君に処方してもらいたい。

  

もし僕が裁判長になれるなら、僕を苦しませた罪で君のことを裁くだろう。
もし僕がバンドマンになれるなら、君への想いだけで音楽を作るだろう。
もし僕が君の一番になれるなら、君のことを世界で一番幸せにするだろう。


君に出会ってから、苦手なラブソングがやけに近く感じる。あのバカげたラブソングの、嘘みたいな恋愛映画の、ヒロインに重ねてしまうのは、いつも君なんだよ。

 

これから先どんなことがあろうと、僕の高校生活は、もう全て君だ。

 

僕の全てを君に託して、もう空っぽになってしまいたい。ボロボロになってもめげない自分が大嫌いだ。

 

君のことがこの世で一番大嫌いなのに、君のことが好きで好きで仕方がない。
君のことがこの世で一番怖いのに、君のことが好きで、好きで、好きで、好きで、もうわけが分からない。頭を悩ませる力ももうない。


早く「好き」じゃなくて、「好きだった」と言えるようになりたい。


これから先、誰に出会おうとどんな恋をしようと、その度に僕は君を思い出して、また苦しくなる。

 

もし、君を好きでいることがこんなに苦しいことだと分かっていても、僕はまた君のことを好きになる。

 

誰かのことをどうしようなく好きになることの喜びと苦しみ、誰かのことをどうしようもなく好きになると、どうしようもなく苦しくなること、でも、それが実りそうになると天に昇るほど嬉しいこと、全部君が教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無題

 

 

これは、できれば君のもとまで届いてほしくないけれど、できれば君のもとまで届いてほしい記憶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初からそうだったのかもしれない。ただ可愛かった。めちゃくちゃタイプだった。

 


入学してまだ間もない頃、学校に着くのがクラスで二番目くらいに早い君は、毎朝廊下で鍵のかかった教室が開くのを待っていた。学校に着くのがクラスで四番目くらいに早い僕は、勇気を出して、そんな君におはようの挨拶をするんだけど、お互いそういうのは得意じゃないようで、どこかぎこちなかった。まぁ、まだ出会って間もないし、しょうがないか。ただ、僕は、そのぎこちなさのなかに、どことなくあたたかさを感じていたのだと思う。山でキャンプファイヤーをした翌日の朝一番に浴びる、ポカポカした日差しのような、何とも心地よいあたたかさ。

 

君の第一印象はというと、可愛い。とにかく、可愛い。いや、でも、そんな言葉じゃ足りない。君は、可愛いすぎる。黒目がちの大きな目も、やわらかい声も、きれいな髪も、笑ったときにできる目尻の皺も、マシュマロみたいに白い肌も、全部可愛い。すてき。うん。本当にすてきだ。


君は、落ち着いている。おとなっぽい。あまり表情を変えない。いわゆるポーカーフェイス、みたいな。まあ、でも、このあたりの印象は、見事に払拭された。僕が初めて君とふたりで、挨拶以外のことを話したあの日に。

 

 


君は、よく笑う。おかしなことで笑う。わけのわからないことで笑う。大事な試験や面談とか、そういう緊迫した場面にかぎって、堪えきれなくなって笑ってしまうタイプだ。そう言っていた。僕もそうだ。中学生のとき、文化祭で披露した学級劇。僕は、感動のクライマックスで耐えきれず吹き出して、劇を台無しにするという我が人生最大の失態を犯した。笑える。僕もそうなのである。こんなに清楚に見えても、笑いのつぼが僕ほどくだらないのか。なんか、胸が熱くなる。

 

 

「なにかおもしろいことがあったら、必ず君に教えよう。一番に君と共有したい」
そんな君の一面を知ってから、僕はこう思うようになった。そして、いつのまにか、窮屈な学校生活のなかで、これが数少ない楽しみのうちのひとつになっていた。
お互い口下手で、正直言うと、いつも会話のキャッチボールがどこかぎこちない。だけど、「僕たちにしか分かりあえないその面白さに腹を抱えて笑うこと」が君と感じられる唯一の「つながり」だと僕は考えていた。

 

 

なんか、よく分からないんだけど、なんか、ずっと、君が一番可愛い。大人数で撮った写真とか見てみるけど、なんか、僕には、君のもとにだけ光が差してるように見える。
僕は、君に陶酔していた。名画に惚れこむみたいに。たぶんそれは一方的なものでよかった。その頃は。

 

 

 

 

 

 

だけど、違ったんだ。全然、違ったんだ。
きっと、僕は最初から君に恋をしていたんだ。気づかなかっただけで。


これまでを振り返って考えてみると、僕はずっと君のことを追っていた。君の仕草にどきどきしていた。席が隣になったとき、僕の話を聞いて笑ってくれたとき、音楽の授業で一緒にピアノを弾いたとき、風で乱れた僕の髪を黙って直してくれたとき、君の髪、手、足、心に触れたとき。
今思えば、ずっと、君と目が合うだけで、僕の前を通ってくれるだけで、手が少し触れるだけで、ただ僕の名前を呼んでくれるだけで、どうしようないくらい嬉しかった。

 


そう気づいてから、君と時間を共にすればするほど、僕の想いは大きくなっていった。君を想いすぎて、次第にうまく距離が取れなくなっていた。こんなにも誰かのことを、強く強く想い続けたことは今までになかった。だから、まるで分からなかった。なにが、君にとって、僕にとって、正しいのか。正直言うと、今でも分からない。分からない。分からない。結局、君とは距離を置くことにした。どうしてかというと、怖かったから。君に嫌われるのが怖かったから。

 

 

 

セクシュアルというものは流動的である。何度も何度も、すぐに変わってしまう。


君と距離を置いている間、僕はある人のことを好きになった。っぽかった。だから、このままその人のことを好きでいようと思った。だけど、このきもちは、ただ、君への想いを忘れるための口実なだけだった。ただただ、一時的なものだった。
だから、その人に想いを寄せようと決めたとき、この調子だ、と思った。忘れるんだ。このまま。君への想いを忘れるんだ。忘れたい。早く忘れたい。でも、忘れたくない。絶対に忘れたくない。忘れたい。忘れたくない。
だめだった。全然だめだった。余計に苦しかった。

離れれば離れるほど、君が欲しくなる。もっと想ってしまう。執着してしまう。離れることこそが君との親密さを示していたんだ。

 

 

この想いにブレーキはない。ずっと青信号だ。どんな君でも僕は好きでいる。

 

 


二年生になって、君とクラスが離れた。悲しい。悔しい。学校に行きたくない。君のいない教室に何の意味があるんだ。


僕は最初、よく分からなかった。自分が嫉妬しているのは、いったい誰なのか。だけど、最近はっきり分かった気がする。君と楽しそうに話す人みんなのことを、僕は妬んでいる。

僕の知らないところで、君が他の誰かのものになったらどうしよう。君が僕ではない誰かのことを好きになったらどうしよう。
君への想いがどんどん大きくなるにつれて、どうしようもない焦りが加速していた。

 

 

そしたら、ついに、耐えられなくなった。

 

 


だから、僕は、伝えた。君が十七歳の誕生日を迎えた翌日。君の最寄り駅。改札の前。

 

「僕は君の一番でありたい。君の特別になりたい。君の隣にいたい。君のことが好きだ」


君は、驚いていた。そりゃあ、こんなこと急に言われたら、びっくりするよね。でも、やっぱり優しかった。こっちがだめになってしまうくらい。なにを言っても、いつもと変わらないやわらかい眼差しをくれた。そのやさしい相づちに、君の温もりが何度も垣間見える。僕の心を少しずつ解放させてくれる。どこまでもていねいに、受け止めて、受け入れて、考えてくれて、本当に嬉しかった。ありがとうで胸がいっぱいになった。

 

 

 

 

これまでずっと、蓋をし続けてきた気持ち。「好きすぎて苦しい」なんて、一生味わわないと思ってた。こんなにも、苦しくて、うれしいのか。

 

君だけに抱く変な感覚や気持ちの正体が「好き」だと気づいたとき、僕は、初めて自分を受け入れることができた。自分さえ知らなかった自分に気づかせてくれる。そんな君を前にすると、したいことがもっと増えて、夢がどんどん膨らんでしまう。

 

 


君は、二日後に手紙をくれた。口下手だから、直接だと上手く伝えられないから、と文字で伝えてくれた。

「友達のままでいたい」、そう言われた。

僕は、手紙を読んで、思わず君のもとへ急いでしまった。なんか、よく分からないけど、このままだと、君がいなくなってしまうような気がした。


この前と同じ場所。君の最寄り駅。改札の前。

 

「迷惑だと思うけど、ごめん。諦めたくない。君がいないと、僕、潰れてしまうから」

 

 

僕、少しおかしいんだ。いや、とてもおかしいんだ。感情をね、自分でコントロールできないんだ。いつもそこに知らない感情がいる。ずっと悲しくて、いつも崖っぷちに立っている。いつか落ちるかもしれない。実際は、悲しいことなんてなにも起きていないのに、悲しくて、突然、喪失感とか劣等感が、すごい勢いで僕を襲うんだ。楽しいとか幸せとか感じることもあるけれど、でも、なんか、その根底には、ずっと消えたいって気持ちがある。なんか分からないのだけどね、ふとしたときに、そういうのが止まらなくなる。去年は特にそいつがひどかった。気持ちの起伏に疲れきって、何度も駅のホームに、赤信号の交差点に、飛び込みそうになった。だけど、君がいるから生きてみよう、とか、そんなふうに思えた。たとえ、ギリギリの崖っぷちに立っていたとしても、なんとか落ちないでいよう、そんなふうに思えた。君を感じると、少し楽観的になれる。君に会うために、少し歩いてみよう。君と話すために、明日も学校へ行こうと思えるんだ。

 

 

君は、泣いた。その涙の意味を僕は上手く見出せなかった。ただ、ただ、申し訳なかった。そんなつもりはなかった。

正直、そんなこと、死ぬまで誰にも言わないだろう、言えないだろうと思っていた。ただ、君がいなくならないように、話をしたかっただけなのに。話すことなら、昨日の夕食のことでも、好きな季節のことでも、飼い猫のことでも、何でも話せたのに。どうしてそんなこと話したのだろう。よく分からない。だけど、それでも、ただ、僕は、君にもっと「僕」を知ってほしかったのかもしれない。僕の苦悩を知ってほしかったのしれない。

 

 

平常じゃいられない。君を前にすると。胸が高鳴る。落ち着かない。すごい。焦燥感に駆られる。君のことを好きになるまで、君のことが好きだと気づくまで、こんな感覚、味わったことがなかった。葛藤とか、そういうのはたくさんあるけど、僕は「僕」をようやく受け止めて、受け入れた。別にいいんだ。少しくらい君の棘を感じても。悲しいけれど。君が僕の温もりを感じてさえくれれば、それでいいんだ。それが、いいんだ。

 

欲まみれな人にはなりたくない。そう思ってるけれど、君を見ると、たくさん欲しくなる。君の欲望に応えたい。君の願いを叶えたい。僕の想いを実らせたい。

 

もっと知ってほしい。気づいてほしい。僕の苦しみに、もっと気づいてほしい。溢れる想いに、もっともっと気づいてほしい。君のことを想いすぎて、毎晩枕を濡らす僕に気づいてほしい。毎晩、枕の隣に君がいるところを想像する僕に気づいてほしい。僕のことをもっともっと知ってほしい。

 

 

執着心は、いつも僕を傷つける。

そんなこと、もう痛いほど分かっているのに、それでも、やっぱり君の声が聞きたくて、少しでも君を感じないとどうにかなってしまいそうになる。だから、何度も電話をかける。君は優しいから、いつも快くうなずいてくれる。

 

僕は、明け方が好きだ。なぜなら、君がよくしゃべるようになるから。僕の言葉によく照れるようになるから。普段はそんなことないのに。僕しか知らない君を感じられるような気がするから。

 

日が出始めると、君の言葉はいつも曖昧になる。はっきりしない。まるで、お酒に酔った大人みたいに。君の声はぼんやりしていて、今にも溶けそうだ。僕は、そんな君も好きだ。その可憐な姿に、僕まで溶けそうになるから。

 


僕が消えたくなるとき。人生に終止符が打たれる、そんな瞬間を待ってしまうとき。君との電話が僕のすべてを救いだす。君の声を聞くと、暗い気持ちは塵になって風に吹かれる。こんなところで消えてたまるか、って思う。君は、すごいよ。君は、僕のすべてを生み出して、つくりあげる。


僕は、文字じゃなくて、声で、君に伝えたい。

 

「好き」ならもうたくさん伝えたけど、僕がずっと欲しいのは、その先だ。
でも、言えない。君のために用意した言葉がたくさんあるのに。

 


不器用で、気持ちを言葉にするのが下手な僕だけど、たぶんそれは君も同じで、だから、文字にした想いを電波に乗せて送り合うことは、ぎこちなくて、どこか息苦しい。だからこそ、いつでも僕は、君の声が聞きたい。君の声で、君の温もりを感じたい。この耳で、君を感じたいんだ。

 

 

 


午前授業が始まった。午後、僕は勇気を出して、君を誘った。君が僕の家に来てくれることになった。

 

ああ、君が来るのか。ここに、君が来るのか。今まで何度も想像はしたけれど、それでも緊張で胸が張り裂けそうだ。

 

君を迎えに行く。僕の最寄り駅。改札の前。


雨が降っている。傘をさす君すらとてもすてきだ。
君と横に並んで歩く。湿気と緊張で汗をかいている。家に着くまでに、どうにか心を落ち着かせないと。わざと遠回りをしてしまった。


住宅街にある大きな池の話とか、小学校の前にある立派なゴルフ場の話とか、小さい頃に毎日行った駄菓子屋さんとか、この町のことを話しているととうとう家に着いてしまった。そして、君を僕の家に迎える。たぶん、君も緊張している。

 

部屋に入ってすぐ僕の鼻から赤いものが流れた。鼻血だ。きっと、君が今ここにいることにすごく緊張しているんだ。あとたぶん、君があまりに可愛いからだ。そう伝えると、君はいつものように照れくさく笑った。僕の心はずっと高ぶっている。僕の部屋に君がいる。僕が毎晩、君のことで頭を悩ませ、涙を流す場所に、今、君がいる。


たくさん話した。いつものように、たくさんたくさん笑った。楽しくて、嬉しくて、仕方がない。向かいに座る君がいとしくて仕方がない。やっぱり君はすてきだ。時間よ止まれ。このままずっと一緒にいたい。もっともっと君を感じていたい。だけど、時間はあっという間だ。

 


僕の最寄り駅。改札の前。


今日はありがとうの言葉を告げて、君は背を向けて歩く。

 

これまで味わったことのないくらい大きな余韻に、心が負けそうになりながら、僕も家に帰る。部屋はがらんとしている。だけど、君の匂いがほのかに残っている。やわらかくてやさしい匂い。すてきな匂い。


君が座っていた場所に腰かける。君が荷物を置いたところに触れる。君の飲みかけのジュースを飲み干す。少しでも長く今日の君を感じていたい。

 

 

前に君も言っていたけど、僕と君は似ている気がする。不器用で神経質なところとか、集団行動が苦手なところとか、テスト前日の夜に一気に頭に詰め込むところとか、大事な場面に限って思い出し笑いをしてしまうところとか、朝はご機嫌ななめなところとか、年上の人や小さい子と関わるのが下手なところとか、人一倍繊細でいろんなことを深く考えすぎてしまうところとか、きっと他にもある。君との共通点は多い。だけど、君は、僕より、ずっと良い人だ。

 


今、君の目に僕はどう映っているのだろう。

 

君の言葉がずっとひとつひとつ、僕の脳裏に焼きついている。その言葉たちが、いつも僕を掻き立てて、苦しませる。叶わないのは、届かないのは、きっと、僕が不器用だからだ。僕がずっと探している「僕」は強いけど、実際の「僕」はとてもとても弱いみたいだ。

 

どうして君は僕の心を奪ったままどこかへ行こうとするの?僕の気持ちなんて、もう十分に知っているはずなのに。

どうして、僕に忘れさせようとするの?
僕が奪えばいいの?君の手を?唇を?心を?

 

僕は、君が欲しい。君のすべてが欲しい。君のすべてを僕のものにしたい。少しでも長く君に触れたい。苦しみでできた僕の涙を拭ってほしい。ずっと君と交わっていたい。絡まってほどけないイヤホンみたいに。


こんなの、君以外の誰にも打ち明けられない。君だから話せることや、君だけに話したいことがたくさんあるんだ。

 


僕は、ずっと「僕らしさ」を信じることが怖かった。だけど、君といると、「僕らしさ」が輝いて見える。僕は、君といるとき、ようやく「自分」でいられる気がするんだ。

 


僕の世界はすべて君でできている。だから、君がイェスと言うなら僕もイェスと言うし、君が首を振るなら、僕も首を振る。君がいるなら、大嫌いな学校も行くし、君の声が聞けるなら、苦手な電話もする。何度だってする。君を感じられるなら、どこへでも行く。君がいれば、何でもできる気がするんだよ。

 

 


ずっと、どうにもならないことに縋りついて、逃げ続けてきた。
過去の自分を恨むことが「後悔」なら、僕の人生は「後悔」の連続だ。
だけど、君がいるなら、その後悔とも少しずつ向き合っていこうと思える。

 

 

 

 

 

遠いむかし、ギリシャ神話の最高神ゼウスは、僕たち生き物を半分に切り離した。だから、僕たちは、己の半身、片割れを求めて、生涯をかけて探し回る。それが、「愛」なのだと思う。

どうか、僕の片割れは、君であってほしい。

 


僕は、ずっと君のことだけを想っていたい。ずっと君を求めていたい。ずっと君を好きでありたい。

 

 

 

君を感じられないなら、死んだほうがましだ。

 

 

 

 

 

 

 

龍くん神の子仏の子

 

 

 

おはこんばんわ。

 

本日、晴れてシンリュジンさんが19回目のお誕生日を迎えました。超おめでとうございます。㊗️🎉👏🏻

 

 

 

 

リュジンくんまじで好き

 

とりあえず、まじでほんとうに、正直ここまでリュジンを好きになるとは思わんかったわな。なんせわいをITZYに沼入りさせたのはファンイェジさんですから。

 

 

ITZYがデビューしたとき、まだイチオシはイェジさんでしたけど、わたくしはリュジンさん、いや、リュジンくんに、今までに味わったことのない感情を抱きましたやねん。ほんで今でも、リュジンくんの姿を目にするたびにその感情を抱きます。

まあその感情というのも、正直自分でもよく分からんですけど、なんというか、なんとなく、「好き」とやらいうやつとはちがう気がして、それ以上のもっと特別な「なにか」、、、なんか、うまく言葉にはできないですけど、とにかくすごくすごくすごーーく胸がときめくのであります。。

 

小動物顔大愛好家であるワイが、いま正統派美人シンリュジンさんのことが好きで好きでしょうがないのは、リュジンさんのなかにあるその「なにか」にずーっと惹かれ続けているから、なんて考えたりします。


なんと言いましょうか。なんと言えば、ぼくのこの感情がみなさんに伝わるでしょうか。むずかしい。なんだか、こう、あの、ずっと、その、、初恋を味わってる気分?っていうか、甘酸っぱいというか、とても心地いい刺激、めっちゃドキドキワクワクするねん。。。

あっ今リュジンくんが笑った!食べた!つまづいた! ってそういうひとつひとつに胸がときめくねん。。。

 

 

ってことで、やっぱりまあよく分からんと思うので、とりあえずここでわしが特に好きなリュジンくん、またの名を龍神くん激選集を置いていきますね。見てくれや。

 

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好きなんいっぱいあるのにそのなかから選びださなければならないのはとても苦しいのよネ

 

 

 

 

 

まあ、ほんで、リュジンくんの圧倒的なパフォーマンスも(リュジンのことはユジョンと並んでヨジャアイドルで一番ダンスが上手いと思ってるょ)、クシャッと笑う顔も、もちろん好きで好きでだいすきなんやけど、やっぱりわいが一番惹かれるシンリュジンというのは、その内面なんすよ。素直で、ほんまにバカ真面目で、謙虚で、それでいて好きな子にはちょっとちょっかい出して やんちゃな一面を見せるリュジンくん。思ってることあまり口に出さんし、寡黙なところもあるけれど、そのなかには静かに燃える闘志がたしかにありましてね、もうまじで「たまらん」やでな。

 

ほんまに基本寡黙やから、バラエティー番組に出ても特別目立つというわけでもないですけれど(まあ基本シンユナ赤ちゃんが暴れまくってるからね)、それでも、いざ自分の出番がくると一発で大ボケかましてくるのがリュジンくんです。百発百中ゴール決めてくるのがリュジンくんです。これテスト出るょ〜。

 

 

 

 

 

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リュくんのクシャ顔は世界を救うんやで。

 

 

 

 

 

っていうか、いきなり怒りますけど、前までは絶対ガールズと同じ椅子に座らんかったのに、最近はユナちゃんにデレまくりなリュジンくん いい加減にしてほしいね 😡

 

以前👇🏻

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最近👇🏻
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😡😡😡😡😡😡

 

 

 

あとこれもそうやで😡

 

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シン兄妹、兄のリュジンくんより妹のユナちゃんの方が背高いの萌え死んでしまうのでやめてほしい 😡

 

 

 

 

 

 

てな茶番はこのへんまでにしまして、

 

また真剣モードに入ります。

 

 

 

わいは、リュジンの選ぶ言葉やことばに対する感性?感覚?が好きです。というのも、サイン会で「ロングヘアにしないの?」というファンからの質問に「髪は自分のものじゃない」と返したときも、パリでメンバーと一緒に気球に乗ったときに 雲がすごい!って空を見上げるチェリョンに「(その雲は)空からの贈り物だね」って返したときも、日々繰り出す何気ないことばひとつひとつが、「シンリュジン」なんすよ。そんなところにルックス以上のもっともっとでっかいでっかい魅力を感じてしまうんでな。リュジンの言葉選びはこの上なく綺麗で、でもそれでいてどこか切ない。魅力でしかない。特にこないだのブイライブで、たくさんあるコメントのなかで、「音楽は国家が承認した唯一の麻薬」ってコメントを拾ったの、超よかったっすよね。

 

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星とか月が好きなところとか、旅行で次の日の行き先を決めるときに真っ先に「静かなところへ行きたい」って言うところとか、静かで綺麗なものを好むリュジンくんが好きなんやで。。。

 


無意識にすぐメンバーの腰に手がいってまうリュジンくんも、ガールズを隣にするとなんか凛々しくなるリュジンくんも、腹へったら駄々こねるリュジンくんも、ぷくぷくお口なリュジンくんも、世界が惚れる編み込みリュジンくんも、たまに見せるリュジン「ちゃん」も、ぼくはだいすきでだいすきでたまらんのです。

 

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リュジン「くん」って呼ぶのはどうなん

 

リュジンがリュジン「くん」と呼ばれるのは、正直ヲタクの嗜好や性癖とかいうものにすぎなくて、 良いことかといわれれば、そうではないとかそういうのをよく考えるのです。

 

本人の見えないところで、その人のセクシュアルを、単なる「嗜好」や「性癖」として消費してよいものなのか。計り知れないほどの苦労をして、ようやくアイドルという夢を手にして、それでもなお、努力し続けている彼女たち(or彼たち)のことを、ヲタクの勝手な愛情表現で消費して良いものなのか。それは、たぶん、あかんよな、って考えたりします。アイドルの楽しみ方ってめっちゃむずかしい。

 

たぶん、初めに言った、リュジンに対して抱く「なにか」とかいうこのどうしようもない感情を、心の中で惚れつづける、いわば夢の中の人としての、リュジン「くん」へ向けてるのかもしれない。なんか、もしかしたら、これは、ひとりの人間としての 「シンリュジン」さんへの感情とかではなく、リュジン「くん」としての形だけに抱く感情なのかもしれない、とか、謎にむずかしいこと考えたりします。ヲタクまじきもい。


まあ、けど、こんな感じの、まあ正常とはいえない愛情表現は、見えないところで、彼女たち(or彼たち)を傷つけることがあるかもしれない、ということは絶対に忘れずにいるべきやでな。

 

 

わしの心の中では、リュジンは、これからもずっと、夢の中の人、リュジン「くん」であり続けてほすぃ。これからも、まだ得体の知れないあの「なにか」を抱かせてほすぃ。

 

 

わしにとって、リュジンくんとは、今まで抱いたことのなかった得体の知れないしあわせを与えてくれる人。神からの授けもの。仏のような存在。龍くん神の子仏の子。やで。

 

 

誕生日おめでとう!!!!!!!!!!!!!

 

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20200417